若い世代の人たちに対して、「わからないことがあっても聞いて来ない」「質問が少ない」と不満を言う年上世代にときどき出会います。そうかと思えば、「何か指示しても、いちいち理由を聞かれて面倒」などと言いますから、質問されてもされなくても文句を言っている訳で、ずいぶん矛盾した感じがします。
結局は、上の世代が「質問があるべき」と思っていることを聞いて来ず、「あうんの呼吸で理解すべき」と思うことを聞いてくるという、コミュニケーションの基準の違いが問題なのだと思います。
これに関連するかもしれないことで、以前目にしたある記事を思い出しました。
中高年女性の手記だったと思うのですが、ある時20代の知人女性と旅行をして、筆者は道に迷ったりすると、すぐに通りすがりの見知らぬ人に道を聞いてしまうそうで、それが問題解決も早くて当然のことと思っていたそうですが、同行していた女性はそのことをとても不愉快に思って見ていて、その理由は「自分で調べれば解決できることに他人を巻き込んでいる」ということだったそうです。他人の時間を奪って迷惑を顧みない態度に見えて、不快に思っていたそうです。
今の世の中、確かにスマートフォンがあれば、自分で道を調べて目的地にたどり着くことはできます。
また別のある時、自宅のトイレの水が止まらなくなってしまい、修理業者を探そうとあたふたする自分を尻目に、確か娘さんだったと思いますが、スマートフォンで修理のしかたを検索して、すぐに直してしまったそうです。
この筆者は、他人に聞いたり頼ったりすることが悪いとは思わないが、いつも人に頼ることが前提になっているのは、今の時代ではどうなのかと反省したというような話でした。
私自身のことで言えば、あまり人に頼るのが好きではないので、何でも自分で調べて解決しようとする傾向があります。結果的に回り道になることもたまにはありますが、特に最近はネット上に様々な情報があるので、それで早く安価に解決できることがほとんどです。
私の周りにも、すぐ他人に道を聞く人が何人かいますが、決まって言うのは「聞いた方が早い」です。
ただ、私はまったくそう思っておらず、人から教わったことがあやふやだったり間違っていたりすることがありますし、複数の相手に聞いて回ることもないので、教わった情報があっているのか検証することもできません。
これに対してネットの地図情報であれば、情報自体は正しいので調べ方さえ間違わなければ確実に問題解決ができます。
このように見れば、決して「聞いた方が早い」とは言えません。
これを先ほどの「わからないことがあっても聞いて来ない」「質問が少ない」という年上世代の不満に当てはめると、若い世代は私的なことに他人を巻き込むのは失礼だと考えていて、まず自分で調べられることは極力調べようとしています。
他人に質問して回答をもらっても、それがあっているのか信用できないということもあるかもしれません。あふれる情報の中から、自分に合う物や信用できるものを選び出すことが習慣づいているからです。先ほどの「何か指示しても、いちいち理由を聞かれる」というのは、指示されたことが本当に必要なのか、自分なりに考えたいということではないでしょうか。
ここからすれば、細かい説明を省いて以心伝心を求めたり、「いいからやれ」「黙ってやれ」といったりする姿勢では、若い世代の行動が鈍るのは間違いないことでしょう。
年令で一概に言い切るのはよくありませんが、私は実は若い世代の方が、「できるだけ自分で考えよう」「できるだけ自力で解決しよう」という“自己完結力”は高いのではないかと思っています。
対人コミュニケーションが必ずしも得意でないという傾向はあるかもしれませんが、少なくとも「消極的」や「人任せ」という評価とは違います。
お互いが自分たちの基準で不満を言い合っても、世代間ギャップやコミュニケーションギャップは、絶対に埋められません。なぜそういう行動になるのか、お互いの考え方のベースを知っておく必要があります。
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