最近あった話題ですが、テレビ出演も多い若手社会学者とメディアアーティストや大学教授などの肩書を持ち、有能と評価される若手研究者の対談記事があり、その中で社会保障費削減のため、高齢者の「最後の1カ月の延命治療」をやめるなど、コスト削減という視点で終末期医療や安楽死が論議されていたことが、いろいろなところで取り上げられて議論になっていました。
「社会保障費(特に医療費)は、終末期医療、特に死の1か月前に多くかかっているので、“最期の1か月の延命治療”をやめれば、社会保障費減額への効果が大きい」
「終末期医療の延命治療を保険適用外にしたり、コスト負担を上げればある程度解決するんじゃないか」というような話がされ、「ある世論調査では、日本人の7割は安楽死に賛成している」といった言及もありました。
これについては多くの批判が寄せられたようで、「人間の生と死についての見方が、あまりに浅薄」といった心情的なものや、具体的な数字を挙げて、「“最期の1か月”の医療費に限定すれば全体の3%程度にすぎず、削減効果は少ない」という反論記事や、「そもそも“最期の1か月”は結果論であり、そこだけを切り取ることに意味がない」「延命治療を明確に定義することはできない」といったものがありました。
私自身はすでに両親ともに亡くなった立場ですが、その経験で言えば、“最期の1か月”は全然予定できないし、いったいどの治療が延命に該当してしまうのか、その切り分けもできません。
対談記事で医療費に関する事実認識が少し違っていたことも含めて、その内容には賛同できませんでしたが、もし自分が彼らと同じ年代の頃だったとしたら、年寄り優遇で若者は搾取されているとの認識で、同じような考えを持ったかもしれません。“最期の1か月”の実態を経験しなければ想像がつかなかったでしょう。
この対談は、異なる世代の立場が理解しきれないがゆえの発言という感じがします。
また、もう一つの話題として、某財務大臣が自身の地元の会合で少子高齢化について触れ、「社会保障費が膨らんでいるのは高齢者が悪いのではなく、子どもを産まなかった方が問題」と発言したという報道がありました。
子供を育てやすく、産みやすい環境作りをするのが国の役割なのに、責任ある政治家がこれでは問題が解決するわけがないと批判されて発言は撤回されましたが、同じようなことを何度も言っている人なので、たぶん本音は変わっていないと思います。
これも子育て世代の大変さを理解していない高齢者世代の一方的な考えで、同じく異なる世代の立場が理解しきれないためと感じます。
ある著名コンサルタントの記事で、「年下上司」と「年上部下」が気持ち良く働く方法として、年下上司は「年上に敬意を払って偉そうな態度を取らないこと」、年上部下には「年下でもあくまで上司として接すること」とありました。お互いが相手の立場や経験に、理解と敬意をもって接するのが、円満な関係の秘訣ということです。
必ずしも世代間の問題とは限りませんが、考えてみればパワハラやクレイマーのような問題も、相手への理解や敬意のなさから起こるものです。
相手の事情をすべて理解することはなかなかできませんが、「何か事情があるのではないか」「何かできない理由があるのではないか」と、敬意をもって接することは誰にでもできます。
人間はどうしても、自分の周りの見えていることだけで物事の考えがちであり、さらに自己主張が大事だという風潮なのか、その傾向が強まっている感じがします。
世代の違いというのは、決して埋められない溝があるのは確かですが、その違いをお互いが理解して敬意をもって接すれば、円満な関係を築くことはできます。
企業をはじめとして、あらゆる組織で考えていかなければならないことだと思います。
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