ある会社の調査で、社員ヒアリングを行ったときですが、金融機関から転職してきた人がいました。
その人に聞いた「人事」に対するイメージは、自分の給料、家族構成、評価、その他個人的な情報をみんな知っていて、人の人生を左右するような大きな権限を持っていて楯突けない、できれば遠ざけたい、付き合いたくない、煙たい存在の人たちだそうです。
そういえば、以前別の金融機関出身の人と話した時も、同じようなことを言っていましたので、共通認識としてそういうとらえ方があるのでしょう。わりと古くからの組織形態や思想を踏襲しているところでは、こういう支配と被支配の関係のイメージなのだと思いました。
またある人は、会社の「人事」は「リストラ担当部門」で、自分たちには火の粉が降りかからない人たちだといいました。
実際にそういうリストラ体験があるのか、それとも他人のことを目にしただけなのかはわかりませんが、その人にとってのイメージでは、「人事」は会社の手先で自分たちの仕事を奪う、嫌な存在には違いありません。同じような支配と被支配の関係が、このイメージの中にあります。
その一方、若手社員が多くて伸び盛りのある会社では、「人事」は社員の働きやすい環境をどう作るかを考えることが重要で、そのためにクリエイティブさや企画力が必要だと言っています。
常に社員も意見を言い、お互いが議論しながら、一緒により良い職場環境を作ろうという感覚だそうです。役割は違いますが、現場との距離が近く、人事に対しては権威部門のような意識もなく、フラットな関係を築いています。
私が経験してきた中では、現場と直接やり取りをして、様々な形でコミュニケーションをとりながら仕事を進めるスタイルだったので、「人事」と他部門との間に、上下があるような関係性ではありませんでした。当時はそれがどこでも普通と思っていたので、その後金融機関の人から言われたような「人事」のイメージを聞いて、結構驚いた記憶があります。
最近の多くの企業での「人事」の位置づけとして、少なくとも私の周りでは、お互いが敵対的であったり、煙たがられたりする存在ではなく、現場と近い関係で動いている場合がほとんどです。
理由は単純で、そういう関係でなければ「人事」としての仕事が進められないからです。「人的資源の活性化」が人事の主業務ですが、「人的資源」の当事者である社員との関係が悪くては、活性化などできる訳がありません。
かつては「会社の意思のもとにやらせる」という発想から、強制してでもいうことを聞かせる形になり、そのために人事の権威が強化されたのでしょうが、強制して無理やりやらせることは、内面に反感を生んで、その人の動き自体が鈍くなります。
ただ一方的に作り出された支配と被支配の関係は、組織づくりの中でのメリットは少ないです。何よりも現場からの協力は得られません。
私は「人事」と「現場」が信頼関係を持って、お互いが協力し合うことが最も重要と思っています。「人事」を権威部門にしてしまうことは、特に今となっては得策ではありません。
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