直接面識がない社長のことで、ある知人からの聞いた話です。
その会社の業績は伸びていて、景気がよく見えるそうです。ただ、その経営手法が常識的に言われることとは反対のことが多く、特に社員に対する姿勢が「甘やかさない」という言葉のもとで、脱法的な行為も含めていろいろあるそうです。
例えば「育児休業」などは、「休みたければ辞めてほしい」などとあからさまに言います。男性の育児休業などはもってのほかだそうです。時短の話も「うちの会社では論外」などといって取り合いません。
「働き方改革」などというものは、社員の甘やかしでしかなく、自分の会社には関係ないとまで言い切ります。辞めていく社員は間違いなく多いですが、代わりに入社してくる人も、なぜかそれなりにいるそうです。歩合給などによって給与待遇がそれなりだからではないかと、その知人は言っています。
少なくとも私が知っている経営良好な会社では、社員の待遇アップや職場環境づくり、社員との関係づくりやモチベーションアップの仕掛けなど、「働き方改革」でいわれること以上の工夫している社長がほとんどです。
しかし、この社長は、社員との協働意識や社員との仲間意識、社員への感謝などは無縁の様子で、周りの人から見ればまさにブラック企業です。でも業績はいいのです。
「“結果”と“プロセス”の非対称」といえますが、これは往々にして起こることです。例えば企業人事にかかわる施策では、一般的に良いとされることをしても、それが業績につながるとは限りません。
良い経営をしていると言われている会社でも倒産するのと同様に、悪いと言われる経営をしていても、それなりに結果が出ている会社があります。
これをどうとらえればよいかといえば、「良い経営」「良い人事」といわれる施策は、あくまで原理原則に過ぎないということです。原理原則というのは、定石やセオリーと同じ意味で言っていて、それに則れば7割くらいの確率でうまくいく、残り3割の範囲でも大きな失敗にならないということです。あくまで原理原則なので、そのやり方から外れた成功は当然あります。
これはわりといろいろなことに当てはまり、例えば野球やゴルフのようなスポーツでも、すごく独特な投げ方や打ち方で、良い結果を出す人がいます。「セオリーに反している」と、直そうとする人がいますが、その人の感性に合ったやり方で結果が出ているのであれば、別に問題ありません。
最近はいろいろな競技で、すごく個性的な動きの選手がいますが、無理してセオリーに合わせない指導がされているからでしょう。それが身について技術として確立していれば、それがその人の「原理原則」になったと言えますが、これは他人には真似しづらく、多くの人に当てはまる本当の意味での「原理原則」とはなりません。
企業人事の中でも、「原理原則」については同じことがいえます。社員の自主性を尊重して失敗した会社があったり、社員の裁量を狭めて不満が沸騰しても、それで業績回復した会社があります。やはり原理原則のあてはめ方は、会社の状況によって違います。
前述の「甘やかさない」会社もそういう見方はできますが、私はその状態が長く続くとは思っていません。それは、例えば「目標達成で高い報酬」など、会社と社員の間でお互いWin-Winになるパターンがとても少なく、今のバランスが一つでも崩れてWin-Loseの関係が増えると、あっという間に結果が出なくなるからです。原理原則を外しても成功できる幅は意外に狭く、少しの環境変化ですぐにその幅を踏み外します。
「“結果”と“プロセス”の非対称」は、自分の本当の実力を見誤ったり、今の課題を安易にとらえたりしがちになります。前述の社長に対しても、周りは「勘違いしている」「調子に乗っている」などといって、先行きを案じたり批判したりする声がいくつもあるそうです。
「“結果”と“プロセス”の非対称」はよくあることですが、原理原則を無視した成功は難しく、その成功は長続きさせづらいものです。
原理原則、セオリー、定石は、知っておいた上で自社の取り組みを考えることが望ましいです。
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