「2-6-2の法則」というのは、多くの人が一度は耳にしたことがあると思います。その意味は、 どのような組織でも2割の人間が優秀な働きをし、6割の人間が普通の働きをし、2割の人間が良くない働きをするということを言っています。組織には2割の「上位」の人と、6割の「中位」の人と、2割の「下位」の人がいるということになります。
確かにそんな構成比かもしれないと、一般論としてはそう思います。
この法則の話をよく持ち出すのは、経営者や組織内での上位の管理職、リーダーといった人たちです。組織の課題として、下位の2割の人たちの扱い方をどうするかいったような話題で言いますが、それを積極的に言う人の大半は、「自分は上位の2割」だと思っています。そこまで上位ではないという謙虚な人でも、少なくとも「中位の6割」とは間違いなく思っているでしょう。
ここで、「自分は下位の2割」と自覚しているようなケースは、数字などの明確の基準で序列付けをされているか、上司などから「あなたは下位の2割」と指摘され続けているような人です。序列をはっきりと認識するような機会がなければ、ほとんどの人は「自分は普通かそれ以上」と思っているものです。
では、本当の意味での実態がどうかと考えたとき、この「2-6-2」の区分けというのは、実は明確にはわかりません。その区分けの基準は「優秀さ」となりますが、何を基準に取るかによって、優秀かどうかの見方は変わるからです。
上位2割の優先的な育成や、下位2割の底上げや切り捨てといったもの、さらに中位6割の能力向上などと言いますが、誰がどこに該当するかは厳密にはわかりませんから、そもそもそんな区別をすること自体に意味があるとは思えなくなってきます。
この「2-6-2の法則」に基づく発想で人材の扱いを考えていると、実際にはあまりいいことは起こりません。下位2割のレッテルを張ることで奮起するような人はあまり見かけませんし、この人たちを左遷や解雇のような扱いをしていると、中位6割の人たちにも「いつか自分に降りかかってくるかもしれない」という不安を与えます。「2-6-2」の区分けは厳密にはわかりませんから、判断基準によっては「自分が下に落ちるかもしれない」と、余計に不安は増していきます。
最近の企業での人材開発では、どんなレベルの人材でも能力が上がればそれは業績向上につながると考えられています。仮に基準の2割程度の能力しかないような人材がいたとしても、切り捨てるのではなく指導をして、能力が基準の3割に向上したとすればその分は間違いなく成果につながります。これは上位でも下位でも、やる気があってもなくても、優秀でもそうでなくても関係ありません。
働く人のすべてがやる気満々で能力が高いことはあり得ず、企業にとって好ましい人材は全体の2割くらいという感覚は確かにその通りかもしれませんが、その2割の人だけで組織全体を引っ張れるほど簡単な時代ではありません。
「2-6-2の法則」は存在していたとしても、その区別をすることの意味は、もう薄れてしまっているのではないでしょうか。
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