2021年1月11日月曜日

指導者やリーダーは「怖がられてはいけない」という話

サッカーの元日本代表選手で川崎フロンターレ所属の中村憲剛選手が、今季で引退することとなりました。そんな中で中村選手が代表に選ばれていた当時の代表監督だったイビチャ・オシム氏から、彼に向けて送られたメッセージの記事がありました。

選手としての能力と人間性を高く評価していて、「引退した後もサッカーに携わってほしい」という言葉とともに、指導者になるにあたっての心構えなどが記されていました。

 

その中で目に留まったことが二つありました。

一つは「サッカーのあれこれの知識よりも、むしろ人間をよく見る能力が重要だ」という言葉です。「他人を評価し、リスペクトし、サッカー以外のスポーツや社会や科学のトレンドなどに視野を広げ、常に進歩しようと努力する」と続けられていました。

どんなに専門知識があっても、指導者としてはそれでは不足で、幅広い視野をもとに相手を観察して謙虚な態度で評価することは、組織におけるマネジメントとも共通するところであり、とても共感しました。

 

さらにもう一点は、「選手が思い切ってプレーするためには監督が怖がられていてはいけない」というところです。続けて「リスペクトされる方がいい監督かもしれないが、ミスを叱ってばかりでは選手は萎縮する」「叱られないためにプレーするようでは、積極的なプレーや相手が驚くようなアイデアは生まれない」とありました。こちらも同じくリーダーの姿勢としては共通するところですが、昔ほどではないにしろ、実際の企業の現場では、この指摘とは反対の「怖いリーダー」は、今でも時々見かけるところです。

 

オシム氏はちょっととっつきにくそうな雰囲気に見える人ですが、確かに選手に対して声を荒げたり、威圧的な態度を取ったりするところは見たことがありません。時に皮肉っぽい言葉を言う時はありますが、怖がられるという感じとは違っていました。

私もリーダーには適切な説明やアドバイス、納得感や一体感の醸成、方針や目標を示すことは必要だと思いますが、そこに過度な緊張や威圧といったものは不要で意味がないと思っています。オシム氏の言葉には強く共感します。

 

しかし、こういう話をすると、「いや厳しさは必要だ」「相手を甘やかしてはいけない」という人が必ずいます。その人たちが言うことに対して、大きなニュアンスとして否定はしませんが、そこで私が感じるのは「厳しさ」と「威圧」を混同しているのではないかということです。

本当の意味での「厳しさ」というのは、目標や要求レベルが高いということであり、きつい言葉や威圧的な態度は別に必要ありません。一定の緊張感は必要でも、威圧によって作り出した緊張は、基本的には怖さによるものです。ミスや不足していることを責められる怖さです。

昔ながらの体育会系の発想に多いですが、その経験者や信仰者が言う「厳しさ」は、威圧による緊張に耐えることを言っている場合が多く、本当の意味での「厳しさ」とは少し違っていることを感じます。

 

「指導者やリーダーは怖がられてはいけない」というのは、メンバーに高いパフォーマンスを発揮させるために必要だからであり、その方が確率が高いからです。

オシム氏の言葉から、「厳しさ」と「威圧」は異なるものだということをあらためて思います。パフォーマンスを高める上での「威圧」は不要です。

 

 

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