2021年1月28日木曜日

「多様な考え方」を受け入れられないことの不幸

今はコロナ禍でなかなか外食には行きづらいですが、それより以前にある店のカウンターで隣に座った人が言っていたことです。

その人との面識はなく、会話したわけでもありませんが、どこかの会社の課長職らしく、どうも会社行事の宴会の後に立ち寄ったようです。

 

そこでは、「最近の若い社員は酒席を嫌がるから、自分から誘うことは絶対にしない」「決まった行事以外の付き合いは一切しない」と言っています。「二次会に行った者もいるみたいだが、自分は誘われても絶対参加しない」のだそうです。「なぜこちらがいちいち気をつかわなければならないのか」「話を合わせるのが面倒」とのことです。

私はその話を聞きながら、「こういう上司とは働きたくない」と思い、何かいじけているように見えて哀れに感じてしまいました。

 

確かに会社の宴会を嫌う若者は増えましたが、反対に宴会大好きな若者が私の身近にはいます。知り合いのお店にいつも一人で飲みに来る大学生がいますが、お酒に興味があって、気になったり教えてもらったりした銘柄のお酒を、じっくり味わって飲みたいそうです。宴会で騒ぐのは苦手ですが、お酒は趣味の一つだそうです。

 

昔のように車を欲しがる若者が減ったと言いますが、そうは言っても車好きの人はいます。最近話した若者はそんな車好きの一人で、周りには同じような興味を持った人が集まっているそうです。

特に今はみんなが同じような「車好き」といった嗜好ではなく、自転車好き、バイク好き、さらに車を利用しての旅行好き、キャンプ好きなど、それぞれの興味の幅が広がって「多様化」が進んでいます。

 

企業人事の分野でも、昨今の主要なキーワードが、「個別化」「多様化」です。その人のキャリアを型にはめて決めつけるのではなく、個人の能力や志向を尊重して、仕事内容や育成方法などを考えながら取り組んでいく方が、最終的な業績向上につながるという考え方からです。

 

ただ、最近見聞きすることには、この「多様性」への対応ができないことが原因と思われる課題が多いと感じています。

関係者には反論されるかもしれませんが、例えば経営者団体は必ずしも経営者の意見を代表していませんし、労働組合も労働者の意見を代表していません。自治会が地域の意見を代表しているとは思えませんし、政治の分野でも同じことを感じます。その理由は、過去に比べてどんどん多様化してきているそれぞれの人たちの意見を、うまく調整して集約することができていないからです。努力しているのにできないのかもしれませんし、そもそもその気がないのかもしれません。

 

前述の「若い部下とは付き合わない」という課長も、自分の感性と合わないものから離れよう、避けようしている点で、「自分と違うものを認めたくない」ということでは同じようなニュアンスを感じてしまいます。自分とは必ずしも一致しない「多様な考え方」を受け入れられないという態度です。

 

ある条件で体系化や分類をして、その同類を一律に扱おうとするのは、多様性が増している今の環境では合理的ではありません。この決めつけが無用な対立や不幸を生んでいる気がします。

 

お互いに意見を述べて、議論して、調整して、集約するというプロセスが、これからは今まで以上に大事になってきているように思います。

 

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