2014年6月6日金曜日

「鬼軍曹」はいても「鬼大将」がいない訳


あるプロ野球チームの監督が、成績不振で休養するのだそうです。

事実上の解任ということのようですが、その理由に「昔ながらの“鬼軍曹”スタイルに選手がついて来なかった」とコメントされている記事を読みました。
鍛錬型の練習や、門限や服装ほかの規律強化などを打ち出した結果、選手との距離が広がって人心掌握ができなかったということのようです。

私はここで出てきた「鬼軍曹」という言葉が、どうも気になってしまいました。現場では一番の責任者であるはずの監督が、「鬼軍曹」と言われていることに違和感を持ったからです。「鬼軍曹という言葉はときどき聞くけど、そういえば鬼大将とは言わないな・・・」と思ったのです。

ここからは私の個人的な解釈ですが、これはやはり組織内での役割に違いがあるのだろうと思います。
直接的に現場の部下に接するような、野球でいえばコーチ、軍隊でいえば軍曹のような立場の人であれば、“鬼”と言われるような厳しさも必要なのでしょうが、組織の一番上に立つ者の場合は、ただ“鬼”ばかりではいけないのではないかと思ったのです。

例えば、技術やスキルを訓練する上では“鬼”もあり得ますが、組織マネジメントの仕事は訓練だけではありません。それぞれの部下の力量、性格、その時の体調や精神状態などの把握、どんな人材をどんな組み合わせで配置するか、今がどんな全体状況で、攻めるのか守るのか、どんな策を取るのかを、適切に判断していかなければなりません。判断が必要なことは多岐に渡ります。

その判断のために、現場の状況把握は大事な要素ですが、それには現場との適切な距離感が必要です。距離が近すぎるとなれあいに、離れすぎると情報そのものが取れなくなってしまいます。

この適切な距離感を保つというためにも、組織のトップに必要なのは、“鬼”というよりは、“人望”とか“尊敬”とか“包容力”といった、人の器と言われるような部分なのではないかと思います。組織内の立場が上になるにつれて、徐々にこういう部分を求められる比率が増えていくのではないでしょうか。

「鬼軍曹」とは言っても「鬼大将」とは言わない理由は、こんなところにあるのではないでしょうか。


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