2014年7月11日金曜日

批判すること自体が目的?


とある会社での出来事です。
その会社の社長は、あまり朝が得意な方ではありませんでした。社員の定時は9時出社ですが、会社に出社してくる時間は、どんなに早くても10時近くです。

またこの社長は、デスクにじっと座っているようなことは、あまり得意ではありませんでした。いつも誰か人と会う予定や会合の予定を作っては出かけていってしまいます。もちろん必要な事務仕事などはこなした上ですし、何かあれば常に連絡は取れるようになっていますので、会社の実務上で何か問題になるようなことはありません。

ただその会社の社員たちの目には、いつも会社に遅く来て、すぐにどこかへフラフラ出かけていくように映っているので、何かと批判の的になります。

みんなが皮肉たっぷりに、「重役出勤はいいよね」「勝手にフラフラできてお気楽だよね」「大した仕事もしていないのに高い給料で・・・」などと言われていました。

そんな中で、この会社の社長が交代することになりました。前社長は代表権のない会長に退き、会社にはたまにしか来なくなりました。新しい社長は外部から招かれた方でしたが、前社長とは行動パターンが正反対の方でした。

朝の出社はほぼ毎日8時前で、誰よりも早く会社に来ます。ただあまり社交的ではないようで、来客はそれほど多くなく、社外の付き合いや会合に出かけるようなこともあまりありません。ほぼ一日中社内で過ごしながら、社内の様子には気を配っているようです。

こんな新社長も、やはり社員たちは批判的に見ています。

「朝早く来たって何もしてないんじゃねぇ・・・」「経営者に社交性がないと困るよね」「少しは人と会って仕事でも取って来てもらわないと・・・」などと、やはり大いに批判されていました。

どちらの社長も、その行動には少々偏りがあり、問題がないとはいえませんが、社員からの批判の様子を見ていると、一見理屈は合っているようではあるものの、どうも批判する理由はそれだけではないように思えてしまいます。実は「批判すること自体が目的」だったりするのではないかということです。

最近、一部のメディアなどで、アドラーの心理学に関する記述を目にすることがありますが、この中に「原因論」と「目的論」という話があります。
一言で言うと、原因論は、その結果を引き起こした原因を探ることで問題を解決しょうとするのに対し、目的論は、意識・無意識を含めて「人の行動には目的がある」という考え方で、その行動で何を得られるのかを考えることで問題解決をしようとします。

この場合でいえば、原因論では「社長の行動態度が批判の原因」となりますが、目的論では「社長を批判する真の目的は?」ということになります。

原因論を取れば、社長の行動が正反対に変わっても、批判は変わらなかった訳ですから、原因は社長の行動とは言い切れません。目的論と取ったとして、この話だけでは真の目的はわかりませんが、会社の業績を良くしようとか、仕事の効率を上げようとか、少なくともそういう目的には見えません。もしかすると、社員同士の共通の話題として、単に悪口の対象になっているだけかもしれません。

実はこのように、批判すること自体が目的化していることは、会社の中では間々見受けられることです。そしてあまり建設的ではないことがほとんどです。

他人の批判というのは、ついつい口に出てしまうものですが、本当にそれが何か問題解決を目的としている建設的なものなのか、真の目的を今一度考えてみる必要がありそうです。


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