2016年2月22日月曜日

「昭和の遊具」という話題で思った、「危険は排除するか、それとも触れさせて学ぶか」という話



何気なくネットを見ている中で、あるまとめサイトに「昭和の遊具が危険すぎる」というものがありました。私の世代では、自分も思いっきり遊んでいた記憶がある遊具の写真が並んでいます。
どちらかというと、懐かしさいっぱいで見ていましたが、今あらためて見ると、確かに何の安全対策もなくて危険そうですし、確かに当時は実際にけがをした人を見たことも、自分自身がけがをしたこともありました。

その記事を見ている中で、どなたかのツイートでこんな書き込みがありました。
「昭和の遊具。いつか誰かが怪我するような構造だけれども、子供たちはとても楽しそう。危険なものを排除するのか、危険に触れることで使い方を学習するのか、どちらが子供にとって良いのだろうか」

私自身は、こういうもので遊んでいた世代なので、自分の経験を否定したくないという気持ちもありますし、周りにそれほど大きなけがをした人もいなかったので、「危ないものを何でも撤去して遠ざける」という最近の流れには少し違和感を持っています。
ただ、今は子供の平均的な体力も違うでしょうし、実際に大きなけがをしたり、中には亡くなった人もいるという話を聞くと、それもやむを得ないという気もします。

このところ、企業の人材育成の中でときどき出てくる言葉として、「修羅場体験」「失敗経験」というものがあります。精神的にも肉体的にも相当に厳しい、何をどうしたら良いかの判断もつかないような経験をし、それを乗り越えてきた人材は、力量が圧倒的に高いという話です。
経営危機を体験した社長や、プロジェクトの失敗で左遷された管理職などという人たちで、それを克服してきたという人はこういう範疇に入るのでしょう。「失敗経験が人を成長させる」といいますが、そういうことは確かにあるだろうと思います。

ただ、これを実際に人材育成、OJTの一環としてやろうとするのは、かなり難しいことです。初めから失敗しても良い仕事などは絶対にありませんから、最終的に取り返せる程度の失敗、大勢に影響がない程度の失敗を、うまくコントロールした中で経験させるということになります。しかし、失敗はそんなに都合良く起こるものではありません。

一般的な人材育成であれば、ある目標を設定し、それに対しての経過時間と到達度を測り、目標達成度を評価しながら、次の目標に向かわせるというような取り組みになるでしょうが、それはあえて失敗体験をさせようということではありません。
目標に達しないことを失敗だといえばそう取れないこともないですが、これは俗にいう失敗体験とは別物です。偶然起こった失敗を指導材料にすることはあるでしょうが、意図的に失敗させるのはかなり難しいことです。

そんな様子を見ていると、最近の企業での人材育成も、この「昭和の遊具」と同じことが起こっているような気がします。どちらかといえば危険を取り除き、失敗をさせないように、自信をなくさないように育てていこうというようなことです。「今どきの若者論」でひとくくりにするのはあまり良くないことですが、真面目で打たれ弱い傾向があるとされる人たちに合わせた指導方法ということでもあるのだと思います。

「危険は排除するか、それとも触れさせて学ぶか」の答えとして、私は「両方ともに必要で、そのバランスはその時の状況に応じて変わる」と考えています。
遊具のように、公共の場にあって誰でも利用する可能性があるものは、利用者全員にとって安全な状態にしなければならないでしょうが、例えば体操選手に「高い鉄棒は落ちると危ないから禁止」とはしないように、育成という視点ではその人のレベルに合わせたアレンジが必要です。

意図的に失敗させるのは難しいことですが、それでも今よりもう少しだけ、「危険に触れることで学ばせる」という姿勢も必要ではないかと思います。

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