2016年3月7日月曜日

「夢がない」はいけないこと?



大学生の長女が、「私って夢とかが一つもないからヤバいんだよね」などと言っています。就職活動まではまだ少し間があるので、何か切羽詰まって考えなければいけないというわけではありません。

同じような話を、確か大学受験の頃にも言っていた記憶があります。学校の先生か誰かに、「将来の夢くらい持つべき」などと言われたようで、本人は真面目に捉えて落ち込んでいたようですが、娘とはあまりよく話すわけでもないので、詳しい事情は分かりません。
これは“夢”というよりは、“将来の目標”と混同しているようなところもありますし、周りの友達に何かに向かって取り組んでいるような人が多くて、自分はそれが見いだせないことに焦っているのかもしれません。

ただ、何か見つけなければと思い詰めるほど、“将来の夢や目標”は、必ず持っていなければならないものなのでしょうか?

私自身のことで考えたとき、今までの自分の夢といえば、子供の頃にスポーツ選手になりたいと思っていたとか、そんなレベルのものしか思い当たることはなく、俗にいう「将来の夢や目標」にあたるようなものは、昔からほとんど持っていませんでした。それは今でも大して変わっていません。

私は新卒採用をお手伝いすることがあるので、そんな中で大学生の皆さんのお話を聞いていると、将来の目標ややりたいこと、なりたいものがはっきりしていて、それに向けた具体的な取り組みも始めているような人に出会うことがときどきあります。正直「しっかりしているなぁ」「すごいなぁ」と感心してしまいます。

それは確かに立派で素晴らしいことですが、だからといってみんながみんな、そうである必要はありません。
夢を具体的な目標にし、それに向かって計画的な取り組みをしていく方法はあるでしょうが、先のことが実際にどうなるかは、その時になってみなければはっきりはわかりません。

自分自身のことで言えば、例えば組織から独立した形で仕事をしているのも、今になってみればかなり昔に漠然と、しかもまったく具体性もないままで思っていたことに近いような気がします。断片的に思い描いてはいたけれど、それは別に夢でもなんでもなく、何とか実現しようと努力していたわけでもなかったけれど、それがあるタイミングでたまたま具体的になったという感じです。チャンスがあったともいえるし、自分で決めたともいえるし、そうせざるを得なかったという面もあります。

私は本来の意味での“夢”を持っていない人というのは、たぶんいないと思っています。夢には実現の可能性など関係ありませんから、別に「宝くじに当たりたい」でも、「宇宙旅行に行きたい」でも、「空を飛びたい」でも、何でもいいはずです。そんなことなら、誰でもたぶん一つや二つはあるでしょう。

でも「夢を持て」などといってしまうと、それはもう“夢”ではなくて“目標”です。「将来の目標」などと漠然と言われても、ある人もない人もいるでしょう。ある日突然見える人もいるでしょうし、偶然取り組んだことがきっかけで、それが夢や目標につながることもあるでしょう。

“夢”というのは、漠然としていて実現性がないから“夢”なのだと思います。それは人から言われて無理やり見るべきものでなく、自分の心の中から湧き出てくるものです。今は「夢がない」でも、いつか何かが見つかることがあるはずです。
“目標”となるともう少し具体的ですが、それだって同じく、無理して見つけ出すようなものではありません。

“夢”や“目標”は持てるならばそれに越したことはありませんが、「夢を持て」などということは、他人がお説教をするものではないと思います。
若者たちに周りの大人がやるべきことは、多くの人や物事に出会うきっかけを作ってあげることではないでしょうか。

“夢”の持ち方は人それぞれ、いま“夢”がなかったとしても、それは決していけないことではないと思います。


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