2017年3月27日月曜日

「この話は役に立つのか」といった人が、受け止め方で損していると思ったこと



ある会合のセミナーの後、いつものように懇親会がありました。
そこで何度か見かけたことがある、たぶん年齢60代前半くらいと思われる男性が、私に「今日のセミナーの内容は、皆さんは聞いていて役に立つのですか?」と聞いてきました。

当然ですが、セミナーテーマは事前に告知されていますし、その時の内容は、心理学的な知見を対人コミュニケーションやマネジメントに活かそうというものだったので、たぶんほとんどの人に何らかの形で役立つものだと思います。ただ、その男性にとっては、どうもそうではなかったようです。

私自身は、わりとどんな分野の話でも興味を持って聞く方ですし、その道の専門家の話というのは、どんなテーマであったとしても、一つや二つは必ず学びになることがあります。
ただその人は、「自分にとっては何が面白いのかさっぱりわからない」「もっと自分の専門分野につながる話が聞きたい」などとおっしゃいます。共感できることがよほどなかったのかもしれませんが、他の聴講者の反応から見ても、かなり異質の捉え方です。
セミナーテーマは初めからわかっている訳ですから、「それなら初めから聴きに来なければいいのに・・・」と言いたいのを飲み込んでいました。

その後、この男性は別の女性にも同じ話をしていましたが、その女性からはこんな反論をされていました。
「自分の知らない話だからこそ、面白いのではないですか?」
「自分の専門分野の話は、そのつもりになればすぐ聞けるのではないですか?」
「私は自分があまり知らない分野な話だったので、興味深くてものすごく面白かったです!」
「自分の仕事に活かせそうなことが、いくつもありました!」
このやり取りを聞いていて思ったのは、情報を自分の身になるようにするには、結局はその人の好奇心の持ち方と、受け止め方の違いしかないのだということです。
ちょっと言い方を変えると、「いかに自分事に置き換えることができるか」ということで、さらに言えば、「何でも面白くないという人は、何でも面白いという人より損をする」ということです。

たぶんこの男性は、自分にとってあまり興味がない話で、何に活かせるかをイメージできず、自分事にはできなかったのだと思います。本人にとっては、あまりにも自分からかけ離れた内容の話だったかもしれず、それについて責めることはできませんが、もともとの好奇心の幅は、あまり広い人ではなかったのではないでしょうか。

一方、反論した女性の方は、もしかしたらもともと自分の興味が強い分野の話だったかもしれませんし、直接的に役立つ話だったのかもしれませんが、自分事として取り込む力と好奇心の広さがあることはわかります。「知らない話が面白い」というのは一種の知的好奇心ですし、過去にもそれが満たされる経験をしていて、そういう受け止め方をするようになったのではないでしょうか。

この受け止め方というのは、自分がちょっと意識するだけで変えることができます。自分の身の回りであったことと重ね合わせたり、過去の経験と突き合わせたりすることで、自分事につなげることができますし、「面白い」「役に立つ」という成功体験が増えれば、好奇心の幅も広がります。

これは個人的な話ですが、「あの時に興味がないといって何もしていなければ、その後の大きな展開はあり得なかった」という出来事が、ここ最近続けて何度かありました。
とりあえず話を聞いてみて、参加してみて、そうやって受け入れてみた上であらためて考えることが、やっぱり何かと良いように思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿