2020年4月23日木曜日

「通勤がなくなって気づいたこと」という話を聞いて


まだ取り組みが足りないなどと言われながらも、私の周辺ではほとんどの人が何らかの形で「在宅勤務」に入っています。
週に数日出社するような人もいれば、もう一か月近くの間、ずっと在宅勤務だという人もいます。

実際にやってみて、かなりの仕事が在宅でも問題なくできると感じた人は多いようです。家でできない理由も、ペーパーレス化がされていない、オンライン対応ができていないなど、環境整備の問題が多いので、できることは今後さらに増えていくのでしょう。

多くの人が会社に通勤する必要がなくなり、少なくともその点では時間が有効に使えると思いますが、あるメディアで「通勤しなくなった当初から、今の感じ方が変わってきた」という人たちの、感想がまとめられている記事を目にしました。

在宅勤務が始まったばかりの頃、多くの人は「やっぱり通勤は無駄」「体力的に楽」「効率的」など、通勤せずに済むことへの肯定的な気持ちか強かったそうですが、その在宅勤務がしばらく続き、二週間を過ぎた頃から、「実は通勤には結構意味があった」と感じ始めたという話でした。

多かったのは「オンとオフとの気持ちの切り替えに役立っていた」というものです。
朝夕の通勤があることで、それぞれがウォームアップ、クールダウンの時間となっていて、気づかないうちに気持ちの切り替えができていましたが、在宅勤務では仕事とプライベートが隙間なく隣り合わせのため、どうしてもごちゃ混ぜになってしまうことがあり、けじめがつかずにかえって疲れるとのことです。
私の周りにも、仕事場は自宅と別に事務所や部屋を借りていて、自宅に仕事のものは一切持ち込まないという人がいますが、そうやって物理的に場所を分けないと、けじめがつけづらいことは確かです。

「通勤が結構適度な運動になっていた」というものがありました。
在宅勤務になると本当に動く機会が少なくなり、腰痛を発症したり運動不足を実感したりという人が増えているようですが、「知らないうちに良い運動になっていたことがわかった」という人がいました。

「本を読む時間が無くなった」という人がいました。通勤時間に読書をする習慣があった人は、みんな同様のことを言っています。使い道が限られる時間なので、そこでしていたことを他の時間帯に振り替えるのが、なおさら難しいのでしょう。

「会社でも家庭でもない、唯一の自分の時間」という人もいました。自分の生活の中のバッファの時間だったのでしょう。
「会社に行くついでに、結構いろいろなところに立ち寄っていたことがわかった」という人がいました。今は買い物であちこち出歩くことはできませんが、「通勤がないと、あえてそこまで出かけない」「通勤があるおかげで行動範囲が広がっていた」とのことでした。

私はもともと自宅でも仕事をすることが多いですが、それなりに移動があったので、その時間が気分転換になっていたことは確かです。仕事を理由に出歩くことで、行動範囲が広がっていたのも同感です。

このことであらためて思ったのは、「人間に無駄に過ごしている時間は一切ない」ということです。一見無駄なように見えても、違う角度から見ればその時間にも意味があるのです。ただ、違う角度から見た意味に気づいていないだけだと思うのです。

あまりにも遠距離通勤で健康を害したりするようでは問題ですが、適度な時間であれば、通勤もその人にとって、その人なりの意味がある時間です。
どんなことでも表と裏があり、それぞれに意味があるのだと強く思います。


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