自分の部下たちとの世代の違いに直面して、その対応のしかたに悩んでいるマネージャーから話を聞くことがよくあります。ほとんどが世代の違う部下たちと、どうやってコミュニケーションを取っていけばよいのかという悩みです。
コロナ禍で以前のように飲み会の開催もままならず、できたとしても喜んで参加する部下も少なく、面談としても気軽に話し合える関係にはなかなかなれず、さらにリモート面談が増えて、相手の表情などがわかりづらくなっています。いろいろ試行錯誤をするものの、それがうまくいったという実感が持てないという話をよく聞きます。
この世代間ギャップは、年長者と若手の間だけの話ではありません。若手同士でこちらから見る限りでは、わずかと思える年齢差でも「世代が違う」と言います。
同じ世代といわれるのは、青春時代といわれるような感性豊かな20代の頃を、同じ流行や生活環境の時代を一緒に過ごした人同士のことで、だいたいが近い年齢層のかたまりになります。
しかし、最近は流行が入れ替わるサイクルや環境変化が早いためか、お互いが同世代と認識する年齢の幅が狭くなっているように感じます。
これを多様性といえば確かにそうですが、お互いが共通認識を持つことが難しくなってきているともいえます。〇〇世代などといって、世代の違いを強調する話題をよく耳にしますが、様々な場面で世代間ギャップを感じる人が増えているせいなのかもしれません。
そういう違いにどうやって対処していくか考えると頭が痛いですが、私自身は最近少し違うことを感じたことがありました。
海外のシングルマザー家庭での日常の様子を紹介するテレビ番組でしたが、もちろん言葉も気候も服装も食事も、それ以外の日常的な習慣もずいぶん日本と違っていました。
ただその一方、子供はお母さんが大好きで、お母さんが仕事からの帰ってくるのを待っていて、帰ってくると嬉しそうに、学校で今日あったことなどをいろいろ話しています。お母さんも子供がかわいくて仕方ないように見え、にこやかにいろいろ話を聞いていて、二人で一緒に夕食の買い物に出かけていきました。
そんな様子を見ていて、「国が違っていても人の思いは変わらないもの」と思い、ふと「違うこと」よりも実は「同じこと」の方が多いのではないかと感じました。
相手と親密になる目的で、食事の時間を共にすることはよくありますが、これは国や人種が変わっても同じです。未開の地の原住民でも、自宅に招いて特別な料理を振る舞ったりしますから、たぶん人類に共通する感性、習慣なのでしょう。
どんな人でも、水を飲まなければ死んでしまうし、花を見ればきれいだと思うし、褒められればうれしいです。
世代の違いなど、他人と自分が違うことはたくさんありますが、違いばかりに注目してしまうと、本当はそれ以上にたくさんあるかもしれない「同じところ」に気づきづらくなります。
人との違いを理解、尊重しつつ、同じところを見つけようと意識してみると、今までよりは少し良い関係が築けるように思います。
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