2015年4月8日水曜日

「残業代ゼロ」制度で語られる、本質を見失った論点


ある大学教授の方が書かれたウェブ上のコラムで、4月3日に閣議決定された労働基準法の改正案に関して、あたかも「成果で報酬を決める制度」が導入されるかのような報道がされているのはおかしいという話が出ていました。

新たに導入されようとしている「高度プロフェッショナル制度」は、成果で報酬を決める制度ではなく、あくまで「労働時間に応じた賃金を払わなくても良い制度」で、使用者に対する労働時間規制を撤廃するだけのものであり、論点隠しや論点ずらしがされているという指摘をされています。

私もこの話に関しては、同様の感想を持っていました。法律に書かれるのは、「ある条件に合致する人は、従来の労働時間の規制を撤廃する」ということだけであり、「成果に応じた報酬を支払わなければならない」とは一言も書かれません。
「早く帰れる」「メリハリをつけて働ける」などと宣伝されていますが、これはあくまで本人が働き方を自己決定できればの話であり、もしもこれを上司などの他人が決めるのであれば、「時間に縛られずに都合良く働かせることができる」ということばかりになりかねません。

“時間”は万人に等しい単位ですが、“成果”はそうではありません。売上かもしれないし、利益かもしれないし、もしかすると「俺の言うことを聞くか聞かないか」などという基準が出て来ないとも限りません。少なくとも「労働時間に応じた報酬」と「成果主義」を対比して話すことには、かなり無理があると思います。

同じような論点で語られる話として、「年功制」の問題があります。年令に応じて報酬が決まる「年功制」は不公平であり、もたらした成果に応じた報酬である「成果主義」が、より公正で望ましいものであるなどという話です。
しかし、これも万人に等しい基準と言える“年令”と、時と場合によって基準が異なる“成果”を対比している点では、同じように無理がある話です。そもそも「年功制」の対極が「成果主義」であるなどということはまったくありません。

このように、異なる論点、異なる尺度、異なる基準のものを対比して、二者択一のごとく議論するのは、問題の本質を見失います。「残業代ゼロ」「年功制」「成果主義」には、それぞれメリットとデメリットがありますし、それぞれが二者択一でなく、組み合わせによる中間もあり得ます。

以前聞いた話ですが、海外のある金融機関では、100%年功制の賃金体系を取っているところがあるそうです。「経験がある人の方が仕事の結果が良い」のは当然であり、これを最も合理的に判断できる基準は年令ということだそうです。その良し悪しは別にして、これも一つの考え方であり、すべてを否定できるものではありません。“成果”の中に経験値という項目があるとすれば、その判断材料の一つとして、年令を活用するという考え方はあるでしょう。

二者択一のように単純化した議論や、一方の意見だけに肩入れした論点隠しが、良い結果を生むとは思えません。さらに言えば、「残業代ゼロ」や「年功制」と「成果主義」のように、異なる視点の事柄を、あたかも同一線上にあるがごとく対比して論じるのは、好ましい議論に結びつかないのではないかと思います。


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