日本全国を測量し、初めての日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬の記事を目にしました。
私は詳しく知らなかったのですが、50歳の時に19歳年下の天文学者に弟子入りして、暦学や天体観測、測量などの知識と技術を学んだのだそうです。
それから17年かけて、全国の測量を徒歩で行い、今でも通用するような精度の地図を作成していきました。平均寿命も今ほど長くはなかった時代に、年令には似合わない勉強熱心さと行動力には感心させられます。
学ぶ気持ちさえあれば、年令などは関係ないのだと思いました。
少し話は変わって、最近何人かの人たちから異口同音に、「日本のサラリーマンは勉強をしなさすぎる」と言う話を聞きました。私自身の感覚では、確かにそうだと思う部分と、この10年くらいでずいぶん変わってきたのではないかという部分の両面があると思っています。
そう感じる理由は、たぶん勉強する人としない人の差が両極端になってきたからではないかと思っています。特に私と同世代にあたる40代後半以上で、転職などは考えておらず、今の会社で今のままの仕事を続けて定年まで過ごせばいいと考えているような人からは、「もう今さら勉強なんかしなくていい」という姿勢をより一層強く感じます。
私自身のことで言えば、今のコンサルタントとしての仕事は、いろいろ新しいことも仕入れなければやっていけないので、勉強というか情報収集というか、そういうことは常にしていますが、会社勤めだった頃のことを考えると、実際ほとんど何もしていなかったように思います。
仕事以外の時間は自分の好きなことをしたり、のんびり休養にあてたり、そういう使い方をしたかったですし、そこにあえて仕事につながるような勉強をしようなどという意識はまったく持っていませんでした。こんな感覚の人は、世代を問わずに大勢いるのだろうと思います。
他人に雇われている身で、自分の意思に反して強制されるような仕事も多いとすれば、「仕事は生活のため」と割り切らなければやっていけないでしょうし、そういう考え方は否定できるものでもありません。
ただ、私が独立して間もなく、ある人から言われたことで、印象に残っていることがあります。それが「“勉強”をしないで“仕事”をしているということは、“練習”をせずに“試合”に出ているのと同じだ」という言葉でした。
「就業時間内が仕事の本番だとすれば、プロとしてその本番の中で力を発揮するには、必ず前段の準備が必要なはず」「練習しないで試合に出るアスリートはいない」ということでした。
ちょうど独立してプロを意識し始めた頃だったので、よけいに印象的だったのかもしれませんが、言われてみれば確かにその通りだと思いました。そして、これをサラリーマンの立場で聞いていたとしたら、どちらかと言えば反感を持ったのではないかと思っています。
この感じ方の違いというのは、「プロ意識」と「危機感」の違いではないかと思います。
常に上司から仕事の指示が下りてきたり、定期異動でいろいろな部署を転々としたり、仕事内容が常に変わったりというような環境では、自分の専門性やプロ意識は持ちづらいでしょうし、大企業のように簡単にはつぶれない、よほどでなければ辞めさせられない組織にいたとすれば、仕事を失うような危機感を持つこともあまり多くはないでしょう。
その人の置かれた環境によっては、仕方がないのだろうと思います。
それでも最近は、先が見えない世の中ということもあり、「プロ意識」と「危機感」を持って、自分なりの取り組みをする人が増えているように思います。様々な分野での勉強もそうでしょうし、複業のような動きも同じ意識からでしょう。
たぶん今までは、「練習」をしなくても「試合」に出してもらえる人たちがたくさんいたのだと思いますが、これからは徐々にそうはいかなくなるでしょう。
そして、どうせ「練習」が必要ならば、まずは手始めに自分の好きなこと、興味があることから取り組んでみれば良いのではないかと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿