中央省庁の約8割で、障害者の雇用者数を水増ししていたことが発覚し、人数の半分以上が水増しされたものであったなど、「数合わせ」が横行していた実態が明らかになりました。
本来は率先して障害者雇用を進めなければならない立場の国の機関が、法令を無視したような状況だったことから、大きな問題になっています。
「算入範囲の解釈が違った」などと弁明されていますが、おこなわれていた範囲や規模からしても意図的としか考えられず、これは言い訳でしかないでしょう。
私はこの「数合わせ」という言葉を聞いて、「モラル」と「ルール」の話を思い出していました。
以前あるところで読んだ記事でしたが、それによると、組織を動かすには「モラル」と「ルール」の問題があり、「モラル」というのは目指すべき中心点のことで、中心に近ければモラルは高く、離れれば低くなります。
これに対して「ルール」というのは、中心点からこれ以上離れてはいけないという限界の境界線のことで、これを超えたらアウトになる一線です。
そして、「ルール」を設けると、その境界線ぎりぎりで動こうとする者が多くなり、もしもそれが「モラル」からはかなり離れていたとしても、「ルールを守っていれば問題ない」となるのだとされていました。
「ルール」を強調すると「モラル」を軽視し始め、「ルール」が増えると手続きが増えて、組織の運営効率が落ちていくという話でした。
これを今回の障害者雇用の問題に当てはめると、「障害者雇用率」というのは、最低でもこれだけは雇わなければならないという、まさに「ルール」であり、その「ルール」さえ満たしていれば、それ以上は雇う必要はないということになります。
しかし、本来の「モラル」からいえば、より多くの障害者が働ける社会が理想であり、中心点になります。
以前、私も障害者を採用する立場で活動したことがありますが、企業側では軽い障害の人、配慮が少なくても済む人を求める傾向がありました。雇用率だけを満たして、罰金を避ければよいという考え方です。
これでは重い障害の人は当然不利になり、それを保護するためにまた「ルール」が追加されます。そしてまた、その「ルール」ぎりぎりの攻防になるわけですが、まさに手続きばかりが増え、本来あるべき「モラル」からは離れていっています。
しかし、「ルール」を作って縛らなければ、こういうことはなかなか進まないのもまた事実であり、「モラル」を言い続けるだけでは解決しません。
それでも今一度、この障害者雇用率という「ルール」が、果たして適切なのかを見直すには、良い機会だと思います。
最近は通信インフラやIT機器の進歩により、かなり重度の障害を持った人が、それまではかかわることが難しかった仕事でも、できる部分が増えています。障害による個人差は大きいですが、工夫次第で環境は作れます。
また、障害者に仕事を発注すれば、それは障害者の働く場づくりに貢献していますし、自分で起業できるような障害者をサポートすることでも、同じ効果が考えられます。
そうであれば、ただ「企業が雇う人数」というルールとは、違う考え方が出てくるでしょう。
そもそも「ルール」を破るということは、それが可能なスキがどこかにあります。そして、なぜそんなスキを探すのかと言えば、実施の難しさや無意味さがあるという証明でもあります。
障害者雇用に限らず、こんなことをきっかけに、「ルール」だけでなく、本来の「モラル」に立ち返って、考え直す必要もあるのではないでしょうか。
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