明治大学の齋藤孝教授の著書(「不機嫌は罪である」)の中に、「男性は40歳過ぎたら、普通にしていても不機嫌に見えると思った方がいい」とありました。
わかっていたことですが、あらためて言われると、完全な当事者世代にあたる自分は、やっぱりちょっと落ち込みます。私の感じ方をちょっと付け加えると、「気をつけていないと、年を取るほど不機嫌さが増していく」ということです。
あるイメージコンサルタントの方から、「一人で電車を持っているときの姿が、周りの人から見たあなたのイメージです」と言われたことがあります。何も考えずに無意識でボーっとしている状態ということでしょうが、やはり年々「不機嫌そうに見える」度合いが増している感じがします。
ここで自分が相手を見ている立場だったとして、その人に声をかけるかどうかを考えると、やはり不機嫌そうな人は避けるでしょう。
そう考えると、知らない人に道を聞かれたり、道端で話しかけられたりする人は、不機嫌そうに見えている度合いが少ないはずなので、自分の見られ方を測る一つの物差しになるのかもしれません。
年令と見た目の印象の問題は、正直どうしようもない部分があります。
「こわもて」と言われるような俳優は、若手よりはある程度年令が行った人の方が多いですし、不機嫌そうな見た目を、「威厳」や「貫禄」ととらえる感じ方もあり、それにはやはり年の功が必要なところです。
ただ、斎藤教授の著書では、「今の時代は貫禄なんてない方が、相手にプレッシャーを与えずに良かったりする」という話もありました。
話しかけやすさは、仕事がスムーズさや組織のパフォーマンスに直結するので、「上司が機嫌良くいるのは、今や職務だ」とされていました。
私がこれまで多くの組織を見てきた中でも、この点はまったく同感です。みんなが明るく穏やかで和気あいあい、ただし決して緩んでいる訳ではない、適度な緊張感を持った組織が、最も成果が上がります。
不機嫌な空気は伝染し、それは他のメンバーの行動やコミュニケーションを躊躇させるので、良い影響は何もありません。不機嫌の元凶がリーダーだったりすれば、この伝染力はさらに強まり、組織のパフォーマンスは低下していきます。
「機嫌良くいるのが職務」であり、「年を取るほど不機嫌に見える」となれば、特にリーダーは、機嫌よく見える存在でいられるように、意識して振る舞わなければなりません。
一般的に不機嫌に見えるのは、喜怒哀楽の中では「怒」の感情なので、それだけを抑えればすむはずですが、「普通にしていても不機嫌に見える」ということになると、意識して「喜」と「楽」の感情になれるようにコントロールしなければなりません。
これは個人の性格もあるので、難しい人もいるのかもしれませんが、結局のところは自分がカリカリせず、怒らず、追い込まれないように、穏やかな感情でいられるように心がけるしかありません。
仕事の上でも、さらに普通の生活の上でも、いつも機嫌がよく「話しかけられやすい人」の方が、得することが多いのは間違いありません。
特に中高年男性は、「普通のままでは不機嫌に見える」ということを、認識しておく必要があるでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿