2018年9月5日水曜日

「同調圧力」と良い意味の「一体感」の違いを考えてみる


最近「同調圧力」という言葉が気になっています。
意味を調べると、「特定の集団において、少数意見を持つものに暗黙のうちに多数派意見を強制すること」とありました。簡単に言えば、「みんなと同じように感じて、同じ価値観で動けという強制」となるのでしょう。私が一番嫌いなことです。

「同調圧力」が強い組織の典型として、よく挙げられるのは昔の軍隊ですが、他にも学校や田舎の集落、古い体質の部活などが、そんな例に挙げられています。
企業の場合は、このところダイバーシティ(多様性)が強く言われるようになり、「同調圧力」は以前よりも軽減されつつありますが、それでも歴史が古い会社などでは、今でもそういう体質をひきずっているところがあります。

スポーツの競技団体などで起こっているパワハラ問題や、ブラック校則といわれる理不尽な学校の規則、都会ではあまりありませんが、地域内での嫌がらせなどは、多かれ少なかれ、この「同調圧力」が悪い作用をしている例でしょう。
「同調圧力」が強まると、“同じでない人”の差別や排除が始まるということからも、決して好ましくはありません。

その一方、良い組織や強いチームは、必ず「まとまりがある」「一体感がある」と言われます。「チーム一丸」が悪い意味で使われることは、まずありません。しかし、これらも“同調”といってしまえばその通りです。
「圧力をかけていない」「強制はしていない」ということかもしれませんが、チームリーダーの立場からすれば、チームをまとめるにはメンバーたちに何らかの働きかけをするでしょう。働きかけ方次第では、それが“圧力”や“強制”となることもあり得ます。

こう考えると、「同調圧力」と言われるものと、良い意味での「一体感」と言われるものの間には、何かしらの違いがあるはずです。
ただ、そこをいろいろ考えてみたとき、例えば「納得感の有無」などを思いましたが、これは圧力によって思考停止に追い込まれているような場合もありますし、ただの「働きかけ」と「強制」の境界線も難しいところで、なかなか明確に説明できる違いが見つかりません。

そんな中であえて思ったのは、次の二つのことです。
一つは良いチームの場合、「一体感」のよりどころであるチームの目的が一貫していて、それに対して「同調圧力」の組織は、この目的がいつの間にか他の違う何かに置き換わっています。例えば、戦いに勝つことが目的だったのが、いつの間にか死ぬこと自体が目的になっていたというような話です。

そしてもう一つは、「一体感」で共有しているのはチームの目的や目標であるのに対し、「同調圧力」の組織は、その行動のしかたまで共有を求めて強制していることです。アメフトの不祥事であった「試合に勝つこと」という目的以外に、選手の逃げ場を失くして「相手をつぶせ」などと指示するのは、まさに行動の強制にあたるでしょう。

こうやっていろいろ考えて見たものの、しっくりいくような整理が未だできずにいますが、「一体感」と「同調圧力」の間には大きな違いがあると思う一方、実は紙一重なのかもしれないとも思っています。
いずれにしても、「同調圧力」が強い日本社会では、この違いをしっかり意識しておかなければならないと強く思います。


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