部下や後輩に仕事を教えようとするとき、特に中小企業では、実際の業務を通じたOJTでおこなうことがほとんどだと思います。研修制度が整っていないこともあるでしょうが、実務を通じて教えた方が手っ取り早いですし、そもそも仕事が教えられるレベルの人材は、現場では当然中心的な役割であり、それは一部の人に限られます。あまり手間がかけられないのは仕方がありません。
こういう中で、「仕事は見て盗め」「教えてもらえないのが当たり前」などという人がいます。自分はそうやって仕事を覚えてきたという自負がある人ほど、こういう言い方をします。
ここまでではなくても、例えば「何かあったら質問しなさい」などといっていることが数多くありますが、これも遠回しの「見て盗め」の一種です。
仕事を教わる側からの発信にすべてを委ねてしまうと、「何かあったら」は、「今何かあったのか、なかったのかがわからない」など、そもそもの判断基準がなかったりしますし、「もうすでに教わったことかも」「相手が忙しそう」「こんなこと聞いたら迷惑では」など、躊躇することがたくさんあります。
躊躇というのは余分な時間を要することなので、効率的に仕事が身についているとは言えない状態です。反復して数をこなさなければ覚えられないことであれば、質問が常に出てくるわけではありませんから、相手に委ねる部分が多くても大丈夫かもしれませんが、よほど職人的な手作業でもない限り、やはり教える側から相手の様子を観察し、こちらから働きかけることが必要でしょう。
これに対して、何でもつきっきりで教える「手取り足取り」の人がいます。よく言えば面倒見が良い、反面では自主性を奪っているともいえますが、こういう人の問題は「すぐに答えを教えてしまうこと」です。場合によっては「こちらでやっておくから」などといって、仕事を取り上げてしまうこともあります。
多くの場合、教える側はただの親切心で、それが良かれと思ってやっていますが、特に知識を積み上げなければならないような仕事では、教わる側が自分で考える機会を奪われますから、こちらも仕事の習得、習熟が遅れます。
こんなことから、「見て盗め」と「手取り足取り」は、場面に応じた使い分けが必要ということになります。
「見て盗め」は意図をもって考えさせるのであればよいですが、行き過ぎると「放置」になります。「手取り足取り」は、こちらも基本を細かく教えるなどの意図があればよいですが、同じく行き過ぎると「過干渉」となります。
こう考えると、「放置」でも「過干渉」でもない間でバランスを取りながら、意図をもって使い分けるのが正解ということになります。相手の性格や能力も考慮しなければなりません。
気をつけなければならないのは、自分が過去に受けてきた育成方法が、必ずしもいい訳ではないということです。もしもそれがその人の成功体験であった場合は、なおさらそのやり方に偏っていきます。
相手の性格や能力に合わない指導が、一方的に継続されることは避けなければなりません。自分のやり方にこだわらない柔軟さが必要です。
最近、アスリート指導の場で、監督やコーチによる暴力が問題になっていますが、これも根は同じことです。過去に自分がそういう指導を受けてきて、そのおかげで強くなったなどの自負があれば、自分の体験と同じような指導方法を繰り返します。その引き出しだけしかなくなってしまうのです。
「見て盗め」と「手取り足取り」の使い分けもそうですが、人材育成においては、自分がうまくいったと思っている成功体験がある人ほど、本当にそれで良いのかと問いかける必要があるのではないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿