2019年8月1日木曜日

「見て見ぬふり」をする人としない人


ある日、電車に乗っていて、私から少し離れたところにいたお年寄りが、降り際に財布を落としてしまいました。私が「あっ」と思ったところで、近くにいた若いカップルが財布を拾い、一瞬二人で顔を見合わせて、そのままダッシュで電車を降りてお年寄りを追いかけました。
すぐに電車のドアは閉まってしまいましたが、お二人がホームでお年寄りに追いついた様子が見え、お年寄りは何度も頭を下げてお礼を言っていました。

私は「ああよかった」とホッとしながら、若いカップルのことを考えました。もしかしたらすごく急いでいたかもしれないし、何か決まった予定があったかもしれません。
もし私が誰か友達などと一緒に行動していたとしたら、あんなに即決で追いかけられただろうかと思いました。きっと、その場では「どうしたらよい?」と思って動きが取れず、後から駅員さんに財布を届けるくらいがせいぜいだったような気がします。
「見て見ぬふり」はしなかったと思いますが、そこまでして「直接渡さなければ」とは思わなかったでしょう。若いカップルの行動は、実はそれくらい素晴らしいことだと、後から気づきました。

また、こんなこともありました。
たぶん道に迷ったのだと思いますが、スマートフォンを見ながら周りを何度も見まわしている外国人がいました。声をかけたのは若い男性で、でも英語で会話する訳ではなく、身振り手振りで一生懸命に意思疎通しています。言葉が話せなくても、困っていそうな人を「見て見ぬふり」ができずに声をかけたのでしょう。優しいし偉いなと思いました。

一概に決めつけてはいけませんし、もちろん人にもよるでしょうが、こういう行動力は、ともすれば個人主義のように言われる若い世代の方がよく見かけます。「見て見ぬふり」をせずに、思い立ったらすぐに行動できるのです。私は、他人にやさしい若者は、昔よりも増えているように感じています。

しかし、こういう行動力は、年令とともに薄れてしまいがちです。体力的なこともありますし、考えることもいろいろ増えていきますから、ある程度は仕方ないことですが、ある会社の若手社員が、上司から指導されている中で、気になることがありました。

何かがあって、若手社員は叱責されている感じでしたが、そこで言われていたのは「自分の役割に集中しろ」「余計なことに首を突っ込むな」ということでした。確かに機能化された組織で、担当や持ち場がはっきり決まっていれば、そんな指導も理解できますが、ちょっと見方を変えれば、これは「自分に関係ないことは見て見ぬふりをしろ」と言っているのと同じです。
そういうことを言われ続ければ、せっかく持っている「見て見ぬふりをしない」という資質は、徐々に失われていくでしょう。

実は私もまだ会社に入って2、3年目のころに、「周りのことに目が向きすぎ」「もっと視野を狭めて自分のことに集中しろ」と言われたことがあります。まったく言うことは聞きませんでしたが、今となってはそれで良かったと思っています。ただ、あまりそうやって締め付けようとせず、野放しにしてくれた会社の方が偉かったのかもしれません。

しかし、世の中の多くの会社はそうではなく、それぞれの持ち場が明確に組織化された会社ほど、「余計なことをするな」などといって、結果としてその人の感性や行動力、視野の広さを奪っていることがあります。

「見て見ぬふり」の中には、本人が持つ資質だけでなく、そうやって教え込まれてしまったものがあるのかもしれません。

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