就職氷河期の頃なので、もう20年近く前の話になりますが、新卒採用をしている中でこんなことがありました。
企業側の採用担当としてその年の就職環境をみていて、本当になかなか決まらない学生が多くて大変そうだと思っていました。
そんな中の採用面接で、ある応募学生に「今年は厳しくて大変ですね」と問いかけたところ、こんな言葉が返ってきました。
「確かに少し上の先輩に聞くとそんなことを言われますが、自分たちは比較対象がないので今年の状況しか知りません」
「だから就職活動というのはこういうものだと思っているので、その中でやるしかないし、そもそもそれが厳しいのかどうかはわかりません」
言われてみれば、「比べられないから厳しいかはわからない」というのは当然ですが、当時この言葉を聞いたとき、それまでの自分の経験で、勝手に相手がネガティブな気持ちを持っていると決めつけていることに気づき、多くの学生がそれよりはるかに前向きな気持ちで取り組んでいることを知って、こういう問いかけをしてしまう自分を、ずいぶん反省した記憶があります。
何年も続けて採用活動を経験して、そこで自分たちしかわからない比較対象を作って、「大変に違いない」と、ネガティブな感情を勝手に作り出していたのです。
なぜこんなことを思い出したかというと、最近いくつかの場所で今どきの企業人事に関する講演をした時の、聞いている皆さんの反応からです。
「少子高齢化が進む日本の環境」「諸外国の現状との比較」などのデータに基づく情報や、「終身雇用がなくなる」「キャリアの自己責任」「実力主義」といった話をすると、特に40代後半以上と思われる中高年層の反応は、多くがネガティブなものです。
「これからは大変だ」「日本はどうなってしまうのか」「自分たちはそうすればいいのか」など、心配や不安、危機感を言いますが、何かそれに対する策はありません。
これに対して、もっと若い年齢層の人たちは、不安ばかりを表立っては言いません。
「人口が減っていく中ではそんなに経済成長する訳がない」と思っていて、そういう環境の中でどう生きていこうかという取り組みの話をよくします。「何をしていけばよいか」「どんな準備が必要か」など、具体的な行動に関するアドバイスを良く求められます。
この違いで思うのは、やはり「経験」や「比較対象」の有無です。
上の世代で高度成長やバブルなど、景気が良かった時代を知っている人や、終身雇用で一つの会社に「安定」して勤め上げることを良かれと思っていた人は、過去を比較対象にすることでよけいに不安感を強めています。「昔の方が良かった」と思っているのです。
しかし、自分たちが経験してきた環境から大きく変わっているので、その中でどう振る舞えば良いかがわからず行動できません。
「経験がある」というのは、今起こっていることに対する「比較対象を持っている」ということですが、過去の経験に対する肯定感が強い人ほど、環境が変わった中では、その経験や比較対象が新たな行動のじゃまをします。
経験は大事ですが、「比較対象」を作って「あの時は良かった」となると、そこで出てくるのは昔に引き戻そうとする動きか、もしくはそれができないことへのあきらめしかありません。
私も経験はそれなりにありますが、今ある環境でそれをどう使うかを考えます。比較対象を見つけて「あの時と同じように」ということは絶対にしません。過去に引き戻すのは退化でしかなく、そう考えるのは新しい取り組みへの妨げでしかないからです。
「経験」や「比較対象」を持っていると、そのせいで行動できなくなることがあります。
過去の肯定的な経験でも、今は通じなくなっていることはたくさんあります。それを理解して現状に対して行動して、初めて経験が活きてくるのです。
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