仕事内容が同じであれば、同じ額の賃金を支払うという「同一労働同一賃金」の制度は、主に正規、非正規雇用の不公平な待遇差解消を目的に、法律はすでに施行されています。
ただ、実際の取り組みは、明確に指摘されている一部手当の格差などを除き、どんどん進んでいるという感じではありません。
何をもって同一労働というのかの定義は難しく、ほとんどの判断は企業に任されていますし、給与以外の勤務体系や休暇取得、設備の利用など、雇用形態の違いを理由に、さまざまな扱いの格差が維持されているのが実態です。今でも派遣社員は使えない休憩所や更衣室があったり、最近ではテレワークができる、できないの差があったりする話も耳にしました。
不合理な格差をなくすべきという総論には賛成ですし、今後も判例や通達などで具体的な基準が示されていくのでしょうが、果たして「同一労働」という言い方でこれが実現できるのだろうかと、ちょっと疑問を感じます。
最近のことですが、私の家族がオリンピック関連の1日限りの短期バイトをしてきました。施設入口での検温業務だったそうで、感染症対策で新たに必要になった業務ということでしょう。
ここで思ったのは、このバイトという立場で働く人と、無給のボランティアでオリンピックにかかわる人たちとの関係です。同じ業務の中でバイトとボランティアが混在することはたぶんないのでしょうが、例えば通訳とか医療関係とか、特殊技能で価値の高い業務にかかわるボランティアは無給で、一方わりと簡単な検温のような業務ではバイトが有給で働いていることになります。同一労働ではないですが、仕事の難易度や重要性を見たとき、報酬という面では逆転しているわけです。
開催環境が当初から大きく変わってしまったことで、すべてボランティア頼りの想定が狂ってしまったのかもしれませんが、少なくともボランティアで参加する人にとっては、あまり気分の良いことではないでしょう。それでもあえてボランティアをするのは、その人なりの意義を感じてのことでしょう。
これは昔からあることですが、同じような肩書、役割で仕事をしているのに、中途採用の転職者の方が給料が高いといったことがあります。前職以下の待遇では採用することができないからですが、不合理な差であることは間違いありません。私も実際の現場で、既存社員から「自分が辞めて転職で入社し直したら給料は上がるのか」と言われたことは、一度や二度ではありません。
また、そうやって給与に下駄をはかせて入社してもらった人に限って、入社後の評価がいまいちといったことは結構多い印象があります。こうやって自社の基準をゆがめるのは、結局あまり良い効果は生んでいません。これも同一労働とまでは言えませんが、不合理、不公平な格差であることは間違いありません。
このように仕事内容と報酬の関係を、本当の意味で平等、合理的にすることは、たぶん不可能です。では何をもって平等とするのか、合理的な格差とするのかの基準は、私にもよくわかりません。
ただ一つだけ言えるのは、仕方がない、やむを得ないなどの消極的なものも含めて、本人に納得感があるかどうかが大事ということです。ここには自分なりの目的、仕事の意義、組織への愛着といった感情的なものもかかわります。
正直言って、相当な大企業でも「同一労働」といえる人というのは、実はそれほど多くありません。みんなそれぞれの適性、能力、価値観などによって、それぞれ少しずつ異なる役割を担っています。
仕事内容と報酬の不平等を、同一労働同一賃金のようなロジックだけで解決しようとするのは、私はなかなか難しいように思います。
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