2021年7月26日月曜日

「切磋琢磨」と「争い」の境目

「ゴリラは平和主義者である」という記事を目にしました。

群れの中でけんかになったとき、ゴリラの場合はボスや仲間が止めに入るそうです。メスや子供をいじめている仲間がいても、同じだそうです。

ゴリラが胸をドンドンと叩くドラミングは、実はよく言われる威嚇行為ではなく、むしろ相手と戦わずにすませるための表現だという説が有力と考えられているそうです。

 

これが他のサルの場合、例えばニホンザルは、争いが起こるとどちらか強い方に加勢して勝負をつけるまでやるそうです。

チンパンジーも凶暴性が言われ、群れの仲間であっても、争いになれば相手が死ぬまで攻撃し続けたり、別の群れを壊滅させるために襲撃して殺害行為をおこなったりするそうです。

チンパンジーはゴリラよりも人間に近縁とされているので、人間がおこなう戦争のような行為も、遺伝子に組み込まれた本能なのかもしれません。

 

人間同士が殺し合う戦争のようなことは絶対にあってはなりませんが、その一方で、一定の競争原理が働いていない環境だと、腐敗、甘え、なれ合いなどの不正が起こりやすいと言われます。企業の現場でも、競い合うことを前提とした様々な仕組みがあります。

 

本来はお互いの「切磋琢磨」を促すためのものですが、ここでの「争い」の部分が強調され過ぎて、中には「二度と立ち上がれない」「やる気を失う」「心を病んでしまう」といったことが起こっています。思うに、人間の本能のままでいくと、そうやって相手を叩き潰すことまでいとわず、行き過ぎた争いになりやすいのではないかと思います。

 

「負けず嫌い」というと、最初にアスリートが大勢思い浮かびますが、最近の様子を見ていると、そこでの考え方や受けとめ方、行動の仕方は以前とは大きく変わっているように思います。昔のようなギラギラした負けず嫌いとはちょっと違い、ライバル意識などは持っていたとしても、他人との比較よりは自分が何をなすべきかという視点が強いと感じます。ライバルとは日常で親しい友達であることも多く、まさに「切磋琢磨」する仲間同士という感じです。

 

周囲から鼓舞しようとする際の声のかけ方も当然以前とは違って、例えば「あいつに負けて悔しくないのか」のような言い方は、それでやる気を刺激しようとしてもあまり通じません。「自分に何が足りなかったか」「これから何をやるべきか」といったことをロジカルに確認し合うと、そこから切磋琢磨につながっていきます。

 

最近目にする過度な誹謗中傷、クレイマー行為やハラスメント、ヘイトや分断をあおるような言動行動は、すべて他者への攻撃性から出てくるものです。実はそれが本能で、今のような不安な時代ほど前面に出てきてしまうのかもしれませんが、人間は本能を理性でカバーすることができます。

今でも相手を比較対象にして、それを踏み越えて相対的に上に出ようと試みる人はいます。ただ、そういう競争心は「争い」につながりやすく、組織の中では好ましくない状況になる恐れがあります。

 

そんな中では、ゴリラのような争いを好まない素養が、これからの時代には大切ではないかと感じました。それは「切磋琢磨」なのか、それとも「争い」になってしまっているのか、その境目はよく考えなければなりません 

 

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