2018年2月5日月曜日

コンサルタントでも見かける「教え魔」



「教え魔」というのは、こちらが教えて欲しいと頼んでもいないのに、自分から教えようと近づいてきて、知っている理論や経験を押し付けてくる人のことをいいます。よく話題になるのはゴルフの教え魔ですが、ちょっとネット検索してみると、嫌がっている人からの相談や撃退法などがたくさんヒットしますから、それほど多くの「教え魔」がいて、なおかつその多くが好かれていない、ありがた迷惑に思われているということでしょう。

ただ最近、他のコンサルタントや先生と呼ばれる人の様子を見ていて、この「教え魔」的な振る舞いをする人に、わりと続けて出会ってしまいました。
これは私が直接「教え魔」の被害にあったということではなく、例えば受講したセミナーであったり、情報交換でディスカッションするような場であったり、たまたま他のコンサルタントが関係先企業の人と話し合っている様子を見かけたりという中で、自分の知識を上からの口調で一方的に話し続けるコンサルタントを何度も見かけたということです。

そもそもコンサルタントというのは、「ある特定分野での専門的知識と経験を有し,顧客の持ち込む問題に対して相談に応じたり,助言を提供したりする職業」という定義ですから、“教えること”は確かに仕事の一部ではあります。
ここで私が「教え魔」と言っている理由は、この定義にある“顧客が持ち込む問題”ではないところの話がほとんどだからです。別に聞かれていないことを一方的に話し続けていたり、自分の話したいこと、教えたいことを相手の都合に関係なく話していたりというように見えたからです。

ちなみに私が見かけた「教え魔」は、全員が年令高めの男性でした。確かに年を重ねると、自分の経験を伝えたい、役立てたいという人が多くなり、私もそんな相談を受けたりすることがありますが、そういう話は男性からがほとんどで、若者や女性は見かけないので、きっと世代と性別による特徴的なところがあるのでしょう。

これは私自身も常に心掛けていることですが、まずは相手が何を望んでいるのか、どんなことが聞きたいのか、どんな情報が知りたいのかなど、相手のニーズをきちんととらえていなければ、コンサルタントという人間の存在意義はないということです。ここは本来「教え魔」とは決定的に違うところのはずですが、どうも最近はこの辺があいまいな人が増えてしまっているのかもしれません。

「自分の経験を伝える」と一言でいいますが、その経験を聞きたい、知りたいという人がいなければ、“伝える”という行為は成り立ちません。
最近は自叙伝を自費出版する人が増えていると聞きますが、私もずいぶん前に一度だけ、ある知人からそんな自叙伝を献本されたことがあります。しかし、本で読むほどその人への興味がある訳もなく、かといっていらないとも言いづらく、考えた結果、しばらくしてから「読んだから他の人にあげて」と言って返しましたが、こんな一方的な思いの押し付けは、「教え魔」と共通している感じがします。

コンサルタントがこれと同レベルの発想で「教え魔」になってしまっては、それはもうただの迷惑でしかありません。


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