2020年9月14日月曜日

「指示に従った」のではなく、相手が「従う選択をした」ということ

次期首相候補の一人が、政権の決めた政策に反対する幹部の官僚には、「異動してもらう」と発言したとの記事がありました。政治家は選挙で国民の負託を得ているのに対して、官僚はそうではないから、官僚は政治家の方針に従うべきというような発言も書かれていました。

 

こういう記事には切り取りもあるので、実際にどんな話をしたのかはわかりませんが、この話の通りだとすれば、もし政治家の方針に不備や誤りがあっても、それに意見したり正そうとしたりするのが許されないわけで、ずいぶん高圧的、強権的な話だと感じます。

自分たちの言うことに強引に従わせることは、物事の進みは早くなりますが、多くの軋轢や恨みが生じます。そういった禍根を起こすと、それが本当に良い政策でも、その人の権力が失われた途端に元に戻ってしまうようなこともあります。

信念をもって取り組んでいる施策ならば、それを続けるためにはなおさら、どんな意見であっても「聴く耳を持つこと」が必要です。

 

企業のマネージャーの中でも、「権力で抑えつける」というスタイルの人は、最近は減りましたが、今でも目にすることがあります。総じて「自分に自信がない人」に多いと感じますが、やはり成果は今一つであることがほとんどです。

 

心理学の理論の一つに、「選択理論」というものがあります。

従来からの考え方では、人間の行動は外部からの刺激に対する反応とされてきたのに対し、「選択理論」はすべての行動は自らの選択であり、自分の行動は他人に選択されないし、他人に行動を選択させることもできないという考え方です。

 

つまり、上司の問答無用の命令に部下が従ったとして、それは上司の命令を受け入れたのではなく、「今のところは従っておいた方がよいだろう」と考えて、部下自身が選択した結果だということです。本人の選択なので、条件が変われば選択結果も変わります。指示や命令に従わなくなるかもしれないし、辞めてしまうかもしれません。

 

ここで考えなければいけないのは、基本的に「行動はその人が最善と思ったものを選択した結果」ということであり、「他人の行動は簡単には変えられない」ということです。

「罰を与える」「怒る」「威圧する」「恫喝する」といったことでは、仮に相手が思い通りに行動したとしても、上辺だけで本音では従ってはいません。それを続けていると、お互いの人間関係も崩れていきます。

 

「他人の行動を変えよう」とするなら、こちらが思う行動を、相手に選択してもらわなければなりません。そのためには、「意図を理解してもらう」「相手にとってのメリットを提示する」「心からの賛同を得る」といったことが必要になります。よく意見を聞き、話し合い、納得してもらわなければ、本当の意味で他人の行動は変わりません。信頼関係も重要です。

 

もしも国のリーダーを担おうという人が、左遷のような話を公言したのだとすれば、それはあまり得策ではありません。多くの優秀な人が、自分の周りから離れて行ってしまいます。実際の行動は、この話とは違うものであってほしいと思っています。

リーダーは、「他人の行動」が簡単には変わらないことを、理解しておかなければなりません。

 

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