「僕はなぜトヨタの人事を3年で辞めたのか」というウェブ記事が話題になっているそうです。
著者が実名で、自分の身の回りで起こることを精一杯受け入れながら、自ら勉強し、周りにも様々な働きかけをし、それでもどうにもならない葛藤が積み重なり、退職に至るまでの事実と心の動きを詳細に記した内容です。
(元記事:https://note.com/kazushi_takagi/n/nc5076eda7a2f)
「希望しない部署への異動など、自分の人生を自分で決められないこと」、「働き方の選択肢の少なさ」「尊重されない多様な個性」「オフィシャルにはクローズで、インフォーマルで共有される情報」など、様々な疑問に突き当たり、周囲の同期が「閉塞感に耐えられない」と次々辞めていき、自身はこの「閉塞感」に立ち向かったものの、一人では何も変えられないことを思い知る形となり、同じテーマに取り組める環境に転職する決断をしたとのことでした。会社のみんなはいつも温かく、転職した後も見守ってくれていて、今でも会社のことは大好きだと言います。
この記事へのコメントを見ていると、同じような気持ちになって転職した人、それでも会社に残った人、その他いろいろな感想がありましたが、「閉塞感を持っている」という気持ちは共通しているようでした。
私が少し驚いたのは、多くの企業からお手本として扱われるトヨタほどの優良な大企業であっても、それほど多くの人が会社の風土や仕組みの問題から、退職してしまっているという事実です。「閉塞感」を理由にした退職は、他の大企業出身者でも同じようなコメントが多数見られるので、特に大企業での「閉塞感」というのは、組織として共通した問題のように思われます。
私自身、その昔学生から社会人になろうとする頃の大企業イメージがまさにこの通りで、「一方的な転勤や異動」「従わなければならない上司命令」など、「強制」と「閉塞感」というものでした。
今となってみれば、「強制」や「閉塞感」は規模に関わらずどんな企業にもあるものだとわかりますし、大企業だから理不尽というようなことは、決してないことも知っていますが、私がその当時に同じような「閉塞感」に出会っていたとしたら、ごく短期間のことでも耐えられなかっただろうと思います。
幸い、何でも自分で判断することが許される会社にお世話になれたことで、今の自分があると感じます。
「閉塞感」は、規模を問わずにどんな会社にもあると書きましたが、その中身は少し違っているように思います。元記事でも同じような言葉で触れられていましたが、大企業の「閉塞感」は“誰かのせい”ではないのに対し、中小企業の「閉塞感」には、明確に“誰かのせい”ということがあり得ます。
“誰かのせい”とわかると、その解決方法は単純で、該当する「誰か」に行動をあらためてもらうことです。しかし、これを実際にやるとなると、この「誰か」は社長であったり上位のマネージャーであったりすることがほとんどなので、話はそれほど簡単ではありません。ただ、短期間で「閉塞感」が解消される可能性はあるので、少しはマシだと言えるかもしれません。
一方、誰のせいでもない大企業の「閉塞感」は、仕組みや組織風土として根付いたものから起こっているので、直していくには時間がかかるし根気もいります。さらに社員数が多いので、その難しさは段違いで、本当にどうしようもない「閉塞感」にぶつかってしまうのでしょう。逃れるためには「辞める」以外の選択肢がなくなります。
このことを、「大企業が優秀な人材を輩出している」と考えれば、日本全体にとっては悪いことではありません。ただ、企業として「閉塞感」を理由に多くの優秀な人材を失っているのだと考えれば、やはりもう少し考えなければならない課題になるでしょう。
どこかの大企業で、このことに対する動きが出てくるかどうかは、これから少し注視していようと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿