最近ちょっと気になったことです。
プロ野球が開幕しましたが、いくつかのチームでコロナの陽性反応の選手が出て、主力クラスが試合に出られなくなるケースが出ています。もちろんそれは良くないことで、感染した選手には何事もなく回復してほしいと思いますが、そんな中で代役となっている選手は、相当コアなファンでなければ知らない、一軍での出場経験がほぼないような無名選手が抜擢されています。しかもそういう選手がそれなりに活躍して、メンバー編成に苦労したチームの方が勝っていたりします。
どんなに無名でも、少なくともプロに入団できるだけの実力がある人たちですから、チャンスさえあればそれなりに活躍できる選手が、実は大勢いるのだと再認識しました。
先日あったサッカーの日本代表戦は、やはりコロナで招集が難しい事情がたくさんあったり、一度は招集した選手がケガで参加できなくなったりして、結構多くの初代表選手が選ばれていました。そしてゴールキーパーの一人を除いた全員が試合に出場し、みんなそれなりに自分の持ち味を発揮していました。相手チームとの戦力差が大きいことなどはありますが、チャンスさえ与えれば委縮せずに自分の力を発揮できる選手が大勢いることがわかります。
コロナ禍は不幸なことですが、そのおかげで通常だったらなかなかチャンスをもらえなかったような人たちが自分の力を見せる機会を得られ、しかもそこでしっかり実力を見せていることが、さすがプロフェッショナルだと感心し、そんな埋もれた優秀な人材が大勢いることもわかりました。
「チャンスは自らつかみ取るもの」とは言うものの、やはり周りが「いかにチャンスを与えるか」が重要だということを、あらためて強く感じます。
企業をはじめとした人材育成でも、「技術は自分で盗むもの」「見て覚えろ」とか「まだ早い」「まだ無理」「まだできない」などといって経験させる機会を与えていなかったり、その理由に「上がつかえている」など実力とは違う年功序列の障壁があったり、「チャンスを与える」ということをおろそかにしているように感じることが多々あります。考え直さなければならないところでしょう。
ただ、だからといってチャンスは“みんな均等に”与えられるものかというと、決してそうはいきません。前述のプロアスリートたちも、もともとの能力を常に磨いて努力を続けています。そうやっていつ巡ってくるかわからないチャンスに向けた準備をし、チャンスに巡り合う確率を上げるために鍛錬を続けています。天才的な力を持った人たちがさらに努力をしているわけで、実際にチャンスを得られるかは別にして、チャンスを与えられるだけの資格は持っています。
そういう部分では「チャンスはつかむもの」ということができるでしょう。
「チャンスが与えられない」と不満をいう人には、本当にその資格があるのかという問題があります。満たされていないならば本人の努力が必要ですが、もしそれが満たされているのであれば、置かれた環境の良し悪しを考えなければなりません。
チャンス自体の総数が少なく伸びしろのない環境なのか、上司との相性が悪くて認められづらいのか、序列が固定化していて抜擢される可能性がないのか、これらはいずれにしても、チームや会社を変わるなど、自分の置かれた環境を変えることも考えなければなりません。
チャンスを与える側にいてそれができていないのであれば、それは多くの才能をつぶしているかもしれないことを認識しなければなりません。「チャンスを与えること」は人材育成の上ではとても重要です。
チャンスというのはつかむものでもあり、与えるものでもあるという両面のことを感じます。
0 件のコメント:
コメントを投稿