2014年5月2日金曜日

「ミスを隠す風潮」に感じる子供っぽさ


旅行会社の社員が、遠足のバスの手配をし忘れていたというミスを隠すため、遠足を中止に追い込もうと考えて、生徒を装って自殺をほのめかすようなメールを送っていたという出来事がありました。

このような現場のミスを隠そうとすることが、最近よく目につくように感じます。
警察官が事件の証拠品を紛失してしまい、別の物品に差し替えてごまかそうとしたり、郵便配達員が、時間内に配達が終わらなかったからといって、郵便物を届けずに捨てたり、建築物の強度偽装や食品の賞味期限偽装などということもありました。

この手の話題を見ていていつも思うのは、「想像力の欠如」ということです。
遠足バスの件でいえば、手配ミスが発覚した時に、何とか緊急に手配して間に合わせることができればそれが一番良いはずですが、なぜ「遠足を中止にさせよう」という発想になったのかが良く理解できません。これは極端な例なのかもしれませんが、すべてに共通するのは「その場しのぎでとりあえず隠してごまかす」ということです。その嘘やごまかしが、もしもバレて発覚したらどうなるのかという点には、まったく想像が及んでいません。

このような対応は、小さな子供がよくすることように思います。「注意されても聞こえないふりをする」「隠してごまかそうとする」「他の子のせいにする」など、とりあえず自分が怒られないように、その場を何とかやり過ごそうとし、その行動の結果にどんな影響があるかまでには考えが及びません。これから知識経験を積んで行かなければならない子供の場合では、仕方がないことなのでしょう。

何かを隠す理由として、「周りには言いにくい」ということがあると思いますが、これは最近よく言われる「嫌なことは避ける」という傾向に通じるものがあります。
「失敗を極度に恐れる」という傾向も、「誰にも失敗を悟られたくないから、他人には一切言わずに自分だけで解決しようとする」というところにつながります。
「自己中心的」ということでは、自分の都合だけを考えているので、物事の優先順位がいびつに捉えられているということがあります。

「想像力の欠如」というのは、経験が少なくて先のことを想像できないということで、全体最適を考えられないということです。一言で言ってしまえば「子供っぽい」となってしまいますが、企業組織で働く人材として、これは致命的です。また年齢、年数を重ねるほど、その問題は大きくなっていきます。

そういうことであれば、できるだけ若いうちから「最悪の想定と、その中で最善の解決策を考える」という全体最適の視点を身につけさせるように教えていかなければなりません。
自分の部下たちに対して、「常識で考えればわかる」などとタカをくくっていると、いつか大変なしっぺ返しを食らってしまうことになりかねません。

「常識で考えればわかること」も、教えていかなければならない時代になって来たのだと思います。


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