2014年5月19日月曜日

残業が美徳という潜在意識


ある新聞の報道で、内閣府が発表した「ワーク・ライフ・バランスに関する個人・企業調査」によると、社員は残業が評価につながると考えているのに、会社は人事評価で考慮していないと感じていて、個人と企業の認識のギャップが浮き彫りになったという記事が掲載されていました。

この調査の内容を良く見ていくと、ギャップが浮き彫りになったという分析が果たして正しいのかということには少々疑問がありますが、私の経験上から感じることでも、何らかの認識ギャップがあるのは確かだろうと思います。

残業時間や長時間労働の問題というのは、かなり多くの企業で課題と捉えていて、私どもにも多くのご相談を頂くような問題です。
このところ「残業代ゼロ政策」のような、労働時間と報酬を切り離そうという議論が盛んにされています。どうも経営者側と労働者側の対立のように簡略化して捉えようとする向きがありますが、私がお話をうかがっている印象では、それほど単純なことではありません。

まず会社側の様子でいえば、ある程度の残業が発生することは当然と思っているし、それを肯定してはいるものの、ただ習慣化してしまっているような部分や非効率な部分が一部にあると捉えていて、そんな個人のパフォーマンスによる差に関して、ただ長い時間働けばその人の報酬が増えるような形には疑問を感じています。

残業の必要性を区別しようと様々な仕組みを考えてみるものの、結局は線引きすることが難しく、フラストレーションを感じながらも労働時間に見合う賃金支払いをしています。中にはサービス残業の強制など、法律を踏み越えることもいとわないような企業があって、それらがブラック企業と言われているのでしょう。

かたや社員の側を見ると、自分自身の仕事ぶりを非効率で不要な残業があると認めるような人はあまり多くありません。他人の残業は批判的に見ていたりする反面、自分自身のことでは、仕事量が多くてやむを得ない残業だと捉えています。「好き好んでやっているわけではないのだから、頑張っていると認めてほしい」という感情だろうと思います。

これは私がいつも思っていることですが、特に日本人の場合、日本昔ばなしに出てくるような、「朝から晩まで、雨の日も風の日も休みなく働く」ということが、今でも労働の美徳として語られていて、それが潜在意識の中に脈々と生き続けているように感じます。

人として普通の気持ちで、「遅くまで大変だね」「休みの日なのにご苦労様」などとねぎらいの言葉を掛けますが、これを言われた側からすれば、そういう働き方が評価されていると思うでしょうし、これが逆になれば、「毎日遅くまで頑張っているのに、評価してもらえない」という感情になってしまうのでしょう。

日本企業での長時間労働の問題というのは、言われ続けて久しいですが、根本にはこんな潜在意識に根差した労働観、仕事観があるのではないかと思っています。そしてこの手の価値観は、強制がなければ変えられない要素が多いのではないかと思います。

最近の傾向を見ていると、残業時間や長時間労働の削減に成功している企業は、例えば決まった時間に消灯してしまう、施錠してしまうなど、かなり強制力を持った取り組みをしているところが多いです。

こういう取り組みというのは、会社側からすれば仕事に滞りができて業績に悪影響が出ないかを懸念するでしょうし、社員からすれば仕事が大変になって収入は減るかもしれないという状況になりますから、前向きに取り組みづらい部分があるでしょう。

ただ、人間の潜在意識に由来する問題の場合は、無理矢理にでも変えて、それに慣れていくということも必要だと思います。

潜在意識に関する部分が変わっていけば、「残業しても評価されない」などという話も、いつの間にかなくなっていってしまうのではないかと思います。


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