2014年8月15日金曜日

成長をジャマする「教えすぎ」に陥っていないか


特に若手社員や新人のOJTなどの際に、「わからないことがあれば質問しなさい」という指示をすると思います。
「わからないことがあればすぐに聞け」という場合も、「聞く前に自分で調べてから来い」という場合もあるでしょうが、積極的に質問することは良い行動として捉えられることが多いのではないでしょうか。

また教える側の上司先輩も、質問されればできるだけわかりやすく説明しようとし、きちんと答えに導いてあげようとするでしょう。特に若手や新人の育成を任されるようなタイプの人には、俗にいう面倒見が良い人が多く、相手に合わせて懇切丁寧に指導をしているように感じます。

一見すると育成意識が高く、良さそうに感じるこの一連の行動については、もうお気づきでしょうが、教えられる側の若手社員や新人が、問題解決のために自分で考えようとする習慣や、自己決定しようとする行動を阻害する可能性があります。

これは子育てなどでも同じだと思いますが、いつまでも手取り足取りの指導をし、具体的なやり方まで細かく指示をするような形では、結局はいつまでも自立することができなくなってしまうということです。
要は「教えすぎ」は禁物ということですが、もうそんなことは当たり前に意識して取り組んでいると言われるかもしれません。

ただ、最近の現場での人材育成の様子を見ていて、そこに関わる人たちの行動から感じるのは、この「教えすぎ」を、今まで以上に意識しなければならないのではないかということです。
教える側は無意識のうちに「教えすぎ」の傾向になりがちであり、教えられる側は以前にも増して直接的な答えを求めがちであると感じるからです。

その背景には、マニュアル主義的な傾向が増していることに一因があるように思います。今は何でもインターネットを通じて調べることができ、参考資料や事例はすぐに手に入れることができます。自分で悩んだり考えたり、わざわざ作り上げたりしなくても、すでにあるものをそのまま引っ張ってきた方が手軽ですし、それが簡単にできます。すぐに答えに行きつくことが、何となく当たり前の感覚になってしまっているのではないでしょうか。

また、直接的な答えを求める傾向は、教えられる側だけでなく教える側も同様です。
「すぐに答えを!」という感覚もそうですが、自分たちが教えられる側に立った時には、すぐに答えがほしいと思う相手の気持ちはわかる訳で、その要望に応えようとするあまりに、「教えすぎ」になってしまうということもあるのではないでしょうか。

答えを教えずに自分で考えさせるということは、時間もかかりますし、教える側の辛抱も必要です。ただ、今の世の中の傾向を見ていると、なおさら「教えすぎ」は禁物ではないかと思います。


0 件のコメント:

コメントを投稿