2017年2月3日金曜日

「人と比較せず自分の中で少し頑張る」というイチロー選手の言葉



あるスポーツ紙のアメリカ通信員という肩書の笹田幸嗣さんというスポーツジャーナリストが書かれた、大リーグマーリンズのイチロー選手が自ら主催している少年野球大会の閉会式のスピーチに関する記事がとても印象に残りました。

記事によると、
「自分のことを人の二倍も三倍も頑張ったと言ってくれる人がいるが、そんなことはできない」
「頑張るとしたら、自分の限界の時にその中でもう少しだけ自分で頑張ってみる、ということを重ねていってほしい」
「人との比較でなく、自分の中で自分の中でちょっとだけ頑張った。そのことを続けていくと、将来、思ってもいなかった自分になっている。自分もそれを重ねてきたことで、今現在の自分になれたと実感している」
というような内容の言葉が、参加者の少年たちに贈られたということでした。

この筆者は、「結果」は自らの証と言えるが、「評価」は第三者が下すものであり、自らコントロールできない「評価」を気にしたり、追いかけるのではなく、自分がコントロールできることだけに集中するということが、イチロー選手からのメッセージだと結んでいました。

私も以前、イチロー選手が語っていたことで、「自分にコントロールできないことでも揺れ動く“打率”」ではなく、「自分次第で確実に積み上げていくことができる“安打数”」を重視しているというような話を聞いた記憶があります。自分でコントロールできることに集中するというところは、今回のお話とも共通しています。

私が一番共感し、なおかつ考えてしまったのは、この「評価」に関する部分です。
私の専門分野の一つとして、仕事でかかわることが多い人事制度であれば、この「評価」に関する課題はほぼ必ず含まれています。
公正さが担保できないとか、モチベーションアップにつながらないとか、内容はいろいろですが、これは「評価」ということの性質を考えれば必然でもあります。他人が決めて自分の力ではどうにもならないことが、常に本人にとってプラスだととらえられるはずはありません。

そこで納得性を少しでも高めるために評価基準を整備したり、面接で話し合う機会を設けたり、その他さまざまな工夫をしますが、本人なりに頑張ってそれまでできなかった仕事ができるようになったとしても、周りとの比較で必ずしも評価されないことはあるでしょうし、人の好き嫌いは基準だけでは排除しきれません。
「評価」というのは、しょせんは“他人発”のものでしかありません。

最近はこのように社員を序列化すること自体をデメリットととらえて、評価制度を廃止するというような企業も出始めています。そういう企業でおこなっている人材に対する考え方は、実はまさにイチロー選手の言っているようなものです。
例えば、レベルが“2”しかできなかったことが“3”に上がったとしたら、それは会社にとっては十分な貢献にあたり、その結果をきちんと認めようということです。もしもこれまでの評価制度の考え方であれば、「基準レベルの“5”に達しないから評価できない」となってしまっていたところです。

人材マネジメントの流れは、少しずつ個別化の方向へ進んできています。それぞれの個人に合った目標、プロセスで、「今よりも少しだけ良くする」という取り組みです。手が届く「ストレッチ目標」に、継続して取り組むということです。

企業の人材開発の現場でも、ようやくイチロー選手のような考え方の意味を理解し、追いつこうとし始めたという段階なのかもしれません。イチロー選手の思考の確かさに、あらためて感心しているところです。


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