2017年2月8日水曜日

その報告書や社内資料は本当に必要なのか?



これはどこの会社ということでなく、私が今までいろいろな会社を見てきた中で、本当に「どこでも普通に起こっていること」です。

私の場合、人事制度を初めとした組織運営や人に関する仕組み作りに関わるにあたって、その会社ですでに行われている様々な仕組みの導入状況や運用状況、その他社内事務手続きに関する状況を必ず確認します。
その理由は、新しい仕組みを入れようとしても、すでに多くの決まりがあったり、仕組みが運用されていたりして、新たなものを運用する余力がないという場合があるからです。
例えば人事制度上の理屈としては一般的に必要なことでも、他に運用されている社内事務の労力が大きすぎると、必ず手抜きや形骸化という現象が出てきます。
新しい仕組みが思ったように機能しない原因の多くは、このあたりの事情を無視していることがあります。

こういうことが起こりやすい会社を、少し違う表現のしかたをすると、「報告資料その他の社内資料がやたらたくさん存在する」というようなことが言えます。

例えば「営業報告」が日報、週報、月報という単位で存在し、確かに書式は違っていて書かれる内容も少しずつ違います。日報はその日にあったことの覚書のようなもの、週報は一週間の活動報告、月報は受注実績など数字の取りまとめといった具合です。それぞれに意味はあるのでしょうが、重複しているところもかなりあります。

また、「勤務報告」といったものがあります。多くの場合では一か月ごとに、就業時間とか休暇申請とか、交通費の精算といった給与計算にかかわる事務報告をします。
さらに「残業申請」といったもので、長時間労働を防止するための管理をしていたりします。月単位なのか、週単位なのか、それとも毎日のことなのか、それはその会社の状況によって違いますし、残業時間数によって切り分けられていたりすることもあります。

社内で何か事務処理上の不備や、情報伝達の不備、顧客クレームや品質問題といったことが起こると、それを防止するという名目で管理帳票やチェックシートが導入されたりします。わりと単機能のものが、もぐらたたき的に実施されていることが多かったりします。

連絡票や伝言メモといったものが、日常ルーチンの中に組み込まれていることがあります。この手のものがものすごく有効に活用されているケースを、私は見たことがありません。実際に関係する社員の間でも、日常的に確認することはほとんどないことが多いようですが、それをやめるとなると、やっぱり難しいのだそうです。

ほかにも社内ミーティングがあればそのための資料、定例のマネージャー会議があればその都度の報告資料などが必要でしょう。これも、ちょっとだけ参加メンバーが違ったり、ちょっとずつ主旨が違ったりするので、それぞれ必要な資料はちょっとずつ違っているのでしょう。

こうやって挙げただけでも、「上司や関連部署に情報を伝える」「必要と思われる情報を共有する」という社内事情のためだけに、ずいぶん多くの時間と労力を使っていることがわかります。

ではこれらが会社や上司にとって絶対必要で有益かというと、そういえる部分もいえない部分もあります。
報告や資料はきちんと読まれた上で、それに向けた対応がされていれば意味はありますが、そこまで確実に実行されている例はそう多くはありません。また、真面目にそれを実行していたとしても、かけた時間に見合うだけの価値があるのかは何とも言えません。
わりと軽い気持ちで、あまり価値があるとは思えない資料を要求しているような場面を見かけることもあります。

私は決して、これらすべてのことが無駄だと言っているわけではありません。ただ、惰性になっているもの、機能が重なっているもの、手間の割に意義が少ないものが多数混じっているのではないかということです。

この辺りは、関係者が常に意識を持っていないと、意味があるのかないのかわからないような慣例がどんどん積み上がっていってしまいます。どうも日本人は一度始めてしまうと途中でやめることが苦手なところがあるのか、よけいに形骸化が進みやすいところがあります。

「その報告書や社内資料、会議は必要なのか」ということを考えていないと、本当に必要なことをやる余力がなくなります。
新たな取り組みを始めるためには、無駄なことに力を使っていないかを、常に考えておく必要があります。


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