経営競争基盤CEOの冨山和彦氏へのインタビュー記事で、こんな話がありました。
「優秀な人材が働きたいと思う会社が日本企業には少ない」
冨山氏は、例えば日本の大企業のホームページで、「役員一覧」に男性ばかりが並んでいて、そのほとんどが60~70代ということがあり、それを優秀な外国人女性が見たら、「この会社でいくら頑張っても高いポジションには就けない」と判断するでしょう。
これを、「わが社は女性、外国人、若者を差別します」とアピールしているようなものだと言っています。
また、もしも大学院ですごい論文を書いた新入社員がいても、「まずは現場を知りなさい」と言われて地方の工場に配属されたり、社是や社歌を唱和させられたり、報連相やTQC(統合品質管理)を教えられたりしますが、これは、大谷翔平選手が入ってきたのに「野球がうまいのはわかるけど、まずは球拾いと片付けからやって」というようなものだとしています。
どんな人でも、まずは下積みからということでしょうが、この記事を見て思い出した話が「下積み不要論」です。
私は数年前に、あるテレビ番組でこのテーマに関するコメントを求められ、そこで話したのは「下積みには“良い下積み”と“悪い下積み”がある」ということでした。
その時はこんな定義をしました。
「良い下積み」とは、
・基本知識やスキルを学ぶためのもの(職種によっては修行といわれるかもしれない)
・将来により大きな仕事をするために実務を通じて学ぶというもの(例えば優れた上司や先輩の下で仕事の補佐をするなど)
・出世後や独立後、その他直接の仕事に役立つもの(普遍的に必要なものを学んでいる)
反対に「悪い下積み」とは、
・序列の中で縛って、自分が抜かされないためのもの(早く育っては困るから教えない)
・安価で従順な労働力を確保するために「下積み」という言葉でつなぎとめているもの
(どんなに優秀でも重要な仕事を任せず、雑用ばかりが振られる)
・経験が直接の仕事には役に立たないもの(役に立ったかどうかは個人の主観に限られる)
というものですが、この記事での話も、どちらかと言えば「悪い下積み」に当てはまるものです。
ただ、以前に定義した「悪い下積み」とは、一つ異なることがあります。それは「教える上司、先輩の側には悪意がなく、どちらかと言えば良かれと思ってそうしている」という点です。
「抜かされると困るから教えない」といったことはなく、自分は「会社のルールとプロセスの中で育てられた」と思っていて、その成功体験から「他の人もそうした方が良い」と考え、順序だてた現場経験のようなプロセスが必要だとしているのです。
この思いや成功体験自体は否定するものではありませんが、昨今の環境で大きく違うのは、「その会社にずっと勤め続ける前提はない」ということです。特に大企業の考える「下積み」の中には、「自社のしきたりになじむこと」がまだかなりの比重で残っています。しかし、それを一生懸命身に着ける意義は、今となってはとても少なくなっており、にもかかわらず、自分たちの経験と主観に相手のことを当てはめて、同じプロセスを踏ませようとしています。
もう一つ、教える側に「新入社員が経験ある自分よりも優秀なわけがない」という、潜在的な思い込みがあるように思います。記事の中にも「日本企業はいまだに“採用してやる”という上から目線がある」とされていましたが、そことも共通しているのではないでしょうか。
それぞれの人材には、それぞれ身に着けたことの違いがあります。そこで考えるべきは、「その人材が今持っている能力を最大限に活かすこと」であり、「力が発揮しやすい環境をいかに作るか」であり、「早く大きく力を伸ばすためにどうするか」ということです。
「優秀な人材」から働く場として選ばれるためには、変えなければならないことがあります。
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