2020年10月12日月曜日

どんどん難しくなる「ハラスメント」の境界線

 「ハラスメント」にはいろいろな種類がありますが、最近聞いたものに「ロジハラ」というものがあります。

ロジハラとは、「ロジック・ハラスメント」の略で、正論ばかりを突きつけて、相手を追い詰めたり自分が優位に立ったりしようとするハラスメントを指すそうです。

論理的に説明しようとして、そのことまでハラスメントと言われてしまうと、私もさすがに絶対にしないという自信がありません。「正論だけで責めるな」「思いやりや共感が大事」というのはよくわかりますが、これをすべての人に対して実践するのは相当に難しいことです。

 

例えば、セクハラであれば、これをしてしまう人の言い訳は、親近感を示すためとか場を和ませるためとか、もっともな感じのことを言いますが、仕事の上で性的な話は一切なくても困りません。

言い訳しているような目的のことは他の手段でやればいいことで、セクハラに少しでも触れそうなことは、すべて職場から排除することができます。そのことに対するデメリットはありません。

 

これがパワハラになると少し違っていて、誰が見ても明らかな威圧や嫌がらせ行為はある一方、仕事上の指示命令や人材育成の一環としてやっているつもりだったことが、相手の感じ方によって誤解されるということがあります。

職場には上司・部下をはじめとした上下関係が存在しますが、すべてのパワハラを排除するには、この上下関係を職場から排除しなければならなくなり、現実的には難しいことです。これを防ぐには、誤解されないように相手との信頼関係を作り、自身の言動に気をつけるということになりますが、ハラスメントは相手の主観なので、なかなか全廃とはいきません。

他にもいろいろなハラスメントがありますが、そのほとんどが何らかの上下関係や人間関係上の強弱がある中でおこなわれる「強制」や「嫌がらせ」です。ほぼすべてが「上」の人(最近は部下からのパワハラもありますが)の言動や態度による問題で、その人たちの良識や自制、改心が解決手段になります。

 

ただ、このロジハラとなると、上下関係によらないすべての人間関係が対象になってきます。言われた相手が嫌だと感じれば、それは「ハラスメント」だということになりますが、そこには必ずしも威圧や強制のようなものがあるわけではなく、それを言われた人の「納得できない」「気分を害した」「意見が違う」などの負の感情があるだけです。「正論だけど思いやりがない」とか、「正論でもあなたに言われたくない」といった感情によるものなので、その感じ方のさじ加減は当の本人にしかわかりません。

 

正論を感情でとらえて、それが気にならなければ「ハラスメント」となってしまうと、それを防ぐには常に相手の顔色をうかがって、気分を害する言動をしないようにするしかなくなります。

特に「誤りを指摘する」「ダメ出しをする」というような、相手にとってマイナスの感情を持たれがちな話をする時は、できるだけ論理的に話して納得を得るようにすべきだと言われますが、そのちょっとした言い方によって「思いやりがない」などと言われて、ロジハラなどとされてしまうようでは、もう他人に対して苦言を呈することはできなくなってしまいます。

 

企業の現場を見ていると、確かにひどいハラスメントは存在していて、それは絶対にやめさせなければなりませんが、どうも最近はハラスメントといわれることが増えすぎているようにも感じます。

自分の気にいらない話でも聞いてみて、内容次第では反省して自分の行動を変えていかなければ、人としての成長はありません。もし可能であれば、相手から自分には受け入れられない言い方や態度があったら、これをその場で確認し合って直していけば、ハラスメントという状況にはならずにすみます。

最近のハラスメントの言い過ぎが、どんどんコミュニケーションを委縮させてしまわないか気になります。

 

 

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