2016年10月19日水曜日

始めるタイミングの善し悪し



ある会社で、人事を中心とした社内制度について話をしていた時のことです。
それなりの人事制度を作って運用している企業ですが、過去に実施した人事施策の中に、有用と思って導入したにもかかわらず、定着できずに立ち消えになってしまったものがいくつかあるそうで、それらへの取り組みを、またあらためてやり直したいということです。

過去に実施していたそれらの施策についてうかがうと、どれも比較的オーソドックスなもので、すごく効果的かどうかは別にして、他社の事例などを見ても、少なくとも一定の効果が実証されてきたようなものが中心です。運用に関して取り立ててサボっていたわけでもなく、制度自体にもそれほど問題があったようではありません。
社員の意識の問題なのか、業務量の問題なのか、いろいろ話していくうちにわかったことは、制度を導入した「タイミング」に関する問題でした。

人事制度を初めとした人事的な施策というのは、どちらかといえば停滞から上昇に転換する、マネジメントを強化するなど、組織の成長につなげる取り組みが中心で、落ち込みを食い止める、出血を止めるといった施策は、それこそ雇用や賃金に手をつけるような、リストラ的な施策に限られます。

ただ、こちらの会社では、業績的に苦しい時期に「何とか落ち込みを食い止めたい」ということを考え、組織成長に向けた制度をいくつか導入したようでした。これは体調不良なのに無理して新たなトレーニングを始めたようなものですから、やはりうまく行くはずはありません。

このように、制度としては良いものなのに、「導入する局面を誤っている」「タイミングを間違っている」ということは、意外に多く見られます。
成果主義を導入したのに、業績が悪くて配布原資がないとか、キャリア支援制度を入れたのに、同時に退職勧奨をしているとか、これらは制度そのものの問題ではなく、状況の見極めや実施のタイミングがまずかったということです。
大きなスケジュールで進めているようなテーマの場合は、いざ実施する段階になって環境が変わってしまっているということもあります。

しかし、このようなタイミングに関する問題は、往々にして取り上げられずに見逃され、制度そのものの問題と混同されがちになります。
それまで検討を重ねてきたことを、いよいよ実施という段階で立ち止まるには勇気が必要ですが、スケジュールだけにとらわれず、「状況を見極めてタイミングを計る」ということが必要な場合もあります。

せっかく良いことを構想しているのに、タイミングを間違っただけですべてが台無しになってしまうことがあります。


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