2016年12月21日水曜日

「優秀な就活生」を見ていて、つい思うこと



新卒採用をお手伝いしていると、いろいろな人に出会いますが、そういう中には、とにかく優秀だと思う学生がときどきいます。学業優秀、豊富な海外経験、成熟した考え方など、本当に感心することがあります。
そんな時ほど、「自分のときはどうだっただろうか」と自分自身の学生時代を思い起こします。

自分のことを今になって考えると、基本的に世間をなめていたように思いますし、態度も大きく生意気で、学生らしい可愛げはあまりなかったと思います。学業優秀でもなく、何かに打ち込んでいたというほどでもなく、特に立派な成績を残したものもありません。つまり、絶対に優秀とは見られなかった学生だったということです。

そんな自分でも採用してくれる会社があり、その後仕事もプライベートも様々な経験をしていく中で、少しずつ落ち着き、謙虚さも持てるようになり、身の回りで起こることを受け入れられる幅も広がってきたと思います。おかげで今は、少なくとも働き方については、自分の理想に近い形でできるようになりました。もちろんまだまだ不足なところばかりですが、それなりに進歩はしてきたはずです。

自分の場合は、どちらかというと「環境先行型」という面があり、周りの環境が変わって初めてそれに順応していく行動を取り始めるところがあります。特に自分のことに関しては、事前に準備して勉強するというようなことは苦手で、放り込まれた環境に合わせて必要な行動を取り始めます。
ですから、学生のうちから社会人の準備をするようなことはせず、将来に向けた取り組みなどを考えたことも無く、就活生としてはまったく優秀ではなかったと思います。

こんな私が「優秀な就活生」を見ていて、つい思ってしまうことがあります。学校を卒業する二十歳そこそこの段階でここまででき上がっていて、果たしてその後の伸びしろはどうなのだろうかということです。
これまで見てきた中で考えると、卒業時のアドバンテージを保ったままずっと伸びていく人はいるにはいますが、そういう人は圧倒的に少数派です。あんなに優秀だと見えた人材が、その後社会経験を重ねていく中で、いつの間にか馬群の中に消えて目立たなくなってしまうことは、それほど珍しいことではありません。
本人は決してサボっている訳ではありませんが、多くの場合は周囲の伸びの早さに吸収されてしまっているように思います。ということは、その人を時系列でみたときに、比較的早熟で出来上がりが早かったということで、残っていた伸びしろは少なかったということになります。

伸びしろというのは、言い方を変えれば「潜在能力」ということですが、これを見極めることは簡単なことではありません。はっきりいって不可能なのだろうと思います。

ただ、新卒採用というのは、この不可能な見極めをしようとしている訳で、それを過去実績と現状の姿から判断しようとします。
そこで「優秀な就活生」に出会うことになりますが、その優秀さは今の段階での優秀さであり、将来に向けても優秀さが保証されている訳ではありません。最近は「地頭」とか「人間力」といった言葉で、将来の優秀さを担保しようとしますが、これも確実なことではありません。

どんなに「優秀な就活生」であっても、将来まで優秀であり続けるかどうか、結局はその後の育成にかかっています。
放置していてはせっかくの伸びしろをつぶしてしまいますし、もしかすると、その伸びしろ自体が少ないのかもしれないということは、心のどこかに持っておく必要があるのではないかと思います。


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