タレントのビートたけしさんが、自身の著書の中で「サービス業に対して偉そうに振る舞うこと」を手厳しく批判している話を読みました。
ご自身は客商売をやっているところに行ってケチつけたりするのが大嫌いとのことで、それがどんな場所であっても、他人が商売しているところで「金を払っているのはこっちだ」などと偉そうに文句つけたりするのは最低だとしています。そして、「ダメだったり、気に入らなかったりすれば、二度と行かなければいいだけのこと」と言っています。
これに関しては私も本当に同感で、もしもどこかで何かのサービスを受けたときに、嫌だったことや気に入らなかったことがあったとして、私はそのクレームを伝えることはほとんどなく、ただ無言で、もう二度と行かないだけのことです。
これを他の人に話したとき、ある人から「あえてクレームを言うことがお店のサービス向上に役立つ」と言われたことがあります。お店はそれで自分たちの非に気づくことができるので、気まずくなっても伝えた方が良いという指摘でした。確かにそうなのかもしれません。
ただ、そのクレームを感情抜きで論理的に指摘できるのであれば、それはお店のサービス向上に役立つと言えるのかもしれませんが、多くの場合では怒りや不満の感情をクレームの形でぶつけてしまっています。それはお互いが不愉快になるだけで、プラスのものは何も生みだしません。
また、お互いが対等の立場であれば、そういう批判や指摘が改善につながることはありますが、客と店員などという立場の違いがある中でそれをやると、立場が強いお客の側の一方的な主張になりがちです。「土下座を要求するクレイマー」などというのは、対等な立場では起こりえないことです。
私はこの手の「一方的で容赦ない他者批判」は、課題解決の出口を狭めてしまい、物事の本質的な解決を遅らせてしまうだけだと思っています。仮に理屈は合っていても、誰に言われるか、どんな言い方をされるかによって、人の受けとめは大きく変わります。
例えば、まったく同じ内容の批判や指摘でも、毎日顔を合わせている上司やいつも来店する常連客に言われるのと、初対面の見ず知らずのお客から言われるのとでは、気持ちがまったく違います。その言い方でも、一方的に責められるのと、穏やかに諭されるのとでは、やはり気持ちは違います。
物事をはっきりと相手に伝えるのは必要なことですが、私はすべての場面でそうだとは思いません。サービスを受ける立場の場合、もし気に入らないことがあったとしても、私はあえて余計なことは言わず、そのかわりそこには二度と行きません。
そもそも、そんなサービスレベルの場所であれば、きっと私のように無言で離れていく人がたくさんいて、そうなれば必然的に気づくでしょうし、自分たちで考えて改善せざるを得なくなります。誰かから一方的に言われて、不愉快な納得できない気持ちで改善しても、そういうことはなかなか定着しません。
失敗やクレームは、確かに人が成長する上では役に立ちますが、それはお客の立場からすることではないと思います。またそれが組織内であったとして、強い立場の者が一方的な批判や指摘で相手を責めていては、決して課題解決には進みません。
「一方的な他者批判」は、結局はそれを言う人が自分のストレスを解消しているだけであり、解決するための出口をなくしてしまうだけです。
誰が言うか、どんな言い方をするかは、とても大事なことです。
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