2012年9月4日火曜日

強い者が教えない方が良い

以前見たテレビ番組で、たぶん誰でもご存知の有名なベテラン俳優さんが、「私は強くないから、他人に教えることが出来た」というお話をされていました。

「もし自分が強い者で、その感覚のまま相手をガンガン厳しく鍛えても、結局モノになる者はなるし、ならない者はならない。それはかえって自分自身が恨みをかったり、周囲の人を遠ざけるだけで、他の人から、あなたは強い人で無いから教えられるのだと言われた」という話でした。
成功者とされる方々は、よく「厳しく育てた、育てられたからモノになった」という話をされますが、一件厳しそうに見える著名な方が、それとは逆のお話をされたことが、新鮮な印象でした。

「厳しさ」というと、ついつい上司など他の人から叱責されたり、場合によっては罵倒されたりしながら自分の課題や仕事に向かう状況を思い浮かべてしまいます。でもこれは「接し方の厳しさ」です。

厳しさにはいろいろあって、例えば水準の高い要求をされることも「厳しさ」で、それが穏やかにニコニコしながら話されたとしても、「厳しさ」には変わりありません。

「厳しさ」と言われると、どうも「接し方の厳しさ」に偏って捉えられているように思います。もちろん結果的にそれで良かった例はたくさんあるのでしょうが、逆にそのせいで成果が出なかった例は、それにも増してたくさんあるように感じます。

目標に向かう上での「厳しさ」は絶対に必要ですが、そこに向かっていく過程の教え方について、叱責や罵倒など、単に「接し方を厳しくする」ということは、必ずしも必要ではないように思います。要は相手に合った教え方はどんな方法かを考えるべきと言うことです。

こんなことを書くと「お前は甘い」と言われてしまいそうですが、強い者の感覚に頼って接し方だけを厳しくしたり、不自然に厳しさを演出するよりは、強くない者、痛みの分かる者が、普通に教えれば、実は結果につながりやすいのではないかと感じました。

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