2013年11月18日月曜日

「発言力」の根源は正当か


権威ある美術展覧会の日展(日本美術展覧会)で、不正な審査が行われていた疑いが出ています。
書道界の重鎮が「書」の一部門で、有力会派に入選者数を割り振るよう審査主任に指示していたということです。

この報道に関して、ちょっと興味深く感じたコメントがありました。
それは「芸術家には一般的に純粋な人が多いので、少数の野心家に牛耳られやすい」というお話でした。不正など考えもしないような純粋な人たちの集団では、不正を画策するような人をチェックする周りの目も、牽制して張り合うような人もいないので、そういう行為が助長されやすいということだと思います。草食動物の集団の中に混じった肉食獣のような感じかもしれません。

これと同じようなことは、集団や組織という中では、いろいろな所であるような気がします。
例えば、女性同士のちょっと陰湿な関係は、当事者の女性でも多くの人が嫌がりますが、ごく一部にそんな動きを取る人がいると、その雰囲気が全体に波及してしまうことがあります。

会社であれば、経営者や上位の管理職など、発言力が強い人の意見に全体が引きずられてしまうことがあります。経営者の発言力が強いのはある意味当たり前ですが、よく見受けられるのは、「業績を上げている」「結果を出している」という理由で、経営者や上司に一目置かれている人が強い発言力を持っているような場合です、

「業績を上げている」ということも「結果を出している」ということも、とても重要で素晴らしいことですが、往々にしてあるのは、そういう人は自部門や自分が関わることには一生懸命ですが、必ずしも会社の全体最適という視点では物事を見ていないことがある点です。

ある会社でのことですが、やはり業績を上げ、結果を出しているという理由で上司から認められ、順調に昇進していった人物がいましたが、ある時期からその人が担当する部門の業績が徐々に下がっていきました。
そもそも業績というのは浮き沈みがあるものですが、その人は自分の発言力の低下を恐れて、業績低下を自分の部下のせいにし始めました。

部下の心は離れてしまい、その部門の業績はさらに下がっていきましたが。経営陣はその人の言い分を受け入れ続けたために、結果的に問題解決を先送りすることとなってしまい、その後会社全体が危機的な状況に陥ってしまいました。

発言力がある人の意見が正解とは限りませんし、そもそも発言力の根源が正当なものとも限りません。そんなことも考えながらの組織運営が必要だと感じた一件でした。


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