「働き方改革」が言われているせいか、個人の働き方が話題になる機会が以前よりも増えた気がします。自分なりの働き方を考えて、それを実現できる環境になりつつあるので、それ自体は良いことだと思います。
ただ、私がどうしても気になるのは、「私たちは○○だったが、今は○○でない」との言い方で、今の環境を消極的、否定的に捉える話が多く聞かれることです。年齢では40代半ば以降の人たちが多いです。
「自分たちは仕事で多少無理もしたが、今の人は無理が利かない」「自分たちは会社や仕事を優先したが、今はそうではない」など、その他でも上司との関係、飲み会、言葉遣い、セクハラやパワハラの話、さらには仕事量や労働時間の武勇伝、打たれ弱いや苦労が足りないといった主観的、感情的な話など、仕事にまつわるありとあらゆることが、どちらかと言えば「昔は良かったが今はダメ」といったニュアンスで語られます。「今どきの若い者は・・・」といった話ももちろん出てきます。
中には強い否定調で話す人はいますが、それよりは「昔はあれでよかったけど、今は通用しない」といった感じで、仕方がない、愚痴、あきらめといった様子の人が圧倒的に多いです。それでも最近の変化を前向きにとらえていないということでは変わりがありません。
これは、仕事をする環境の変化が、特にここ数年ではかなり大きいというせいもあります。変化の度合いに自分の意識がついていかないということでしょう。
つい先日の話題で、某居酒屋チェーン創業者の国会議員が、働き方改革の公聴会で過労死遺族を前にして、「働くことが悪いことであるかのように聞こえる」「週休7日が幸せなのか」などと発言し、のちに撤回して謝罪したというものがありました。
話の伝わり方がご自身の意図とは違ってしまったのかもしれませんが、この人の過去の発言を見ると、もっと過激でハラスメント的なことを言っているので、心の中で思っている根本の職業観は「無理しても働け」といったところがあるように感じます。
私は、誰がどんな職業観を持っていても、それは個人の勝手だと思いますが、そのことを他人に押し付けようとするのは大きな問題です。また、そういう態度を取りがちな人ほど、「昔許されていたことが今はダメなのがおかしい」「働きたい人が働くのがなぜ悪い」などと言います。
「働きたい人が好きなように働く」というのは全然悪いことではありませんが、問題は「働くこと」を自分の意思に反して強制されている人が大勢いるということです。裁量労働制や高度プロフェッショナル制度も、働き方の選択肢を増やす意味では良いと思いますが、この問題は、仕事を「断る」「やらない」という裁量が与えられていないことです。どちらも仕事を「セーブする」「断る」という自由がありません。
企業は業績を上げなければなりませんし、そのためには付加価値も生産性も上げなければなりません。しかし、個人の働きやすい環境を作ることが生産性向上につながると考えれば、そこに「職業観の押し付け」はなじまないはずです。
「昔は良かった」「今どきの若者は」といった話は、年を重ねるとついついしたくなるのでしょうが、本当に昔の方が良かったのかと言えば、決してそんなことはありません。それは単なるノスタルジックなどの心情的な問題です。
自分の職業観を押し付けるのは、結局は誰の得にもなりません。
他人に職業観を押し付けず、これからのことを前向きに考えていくことが、最終的には一番望ましい形につながるのだと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿