2016年9月12日月曜日

上司は絶対に尊敬しなければならないのか?



私がまだ30歳前後のサラリーマン時代のことなので、もうずいぶん前のことになります。

わたしが在籍していた会社は、その当時はまだそれほど人数が多くなかったこともあり、上下関係はわりとフラットで、お互いの役職などにはあまり頓着しない風土の会社でした。

上司との会話では、相手は年長者であり先輩でもありますから、もちろん最低限の敬語は使いますが、しょせんは最低限であり、いま思えばずいぶん失礼な物の言い方もしていたのではないかと、多少反省はしています。

ただそこには、お互いが遠慮せずに物を言い合える関係であるという良さもあったと思っており、さらにお互いがそういう関係で納得している訳ですから、特に問題があったとは思っていません。
私の今の仕事の中では、「長いものに巻かれない」「相手の肩書にビビらない」「言いにくくても言うべきことは言う」などは大事なことであり、当時の環境に身を置いていたことは、多少なりともそういう部分を身につけられた、一つの要因ではないかと思っています。

しかし、世の中にはそうでない価値観もあります。
その当時のことですが、あるお店に社長、上司を含めて数人で飲みに行ったとき、そのお店の常連らしき初老の男性から、「お前は上司に対する口のきき方がなっていない!」と急にお説教をされたことがあります。

あまりの剣幕で一方的な言い方だったことと、私も相手も多少お酒が入っていたことが重なって、私は「当事者同士が普通と思っているやり取りを、初対面の人間に口出しされる筋合いはない!」などと言い返し、その場はかなり険悪な感じになってしまいました。

今となっては若気の至りの話ですが、この頃から変わらずに思っているのは、言葉遣いというのは相手との距離や関係性の中で、お互いが納得すればいいことで、それは年令が上であろうと下であろうと、上司であろうとそうでなかろうと、そういう次元だけで決めるものではないということです。

例えば、新卒の採用面接で、なれなれしい友達口調、上から目線の威圧的な口調で話す面接官がいますが、私は絶対にしませんし、度が過ぎている人を見かければ必ず注意します。
「学生だから」といって自分より下ではないですし、面接というのは会社としての公式な場ですから、それなりの敬語が当然だと思います。

ただこれが、入社が決まってこれからも継続的にその人と関わっていくとなれば、少し話は変わってきます。相手との距離感は近くなっていきますから、言葉のやり取りはもう少しカジュアルなものに変わっていくでしょう。これはお互いの関係性の中で、徐々に作られていくものだと思います。年長者や上司を立てるという最低限の礼儀はあると思いますが、それがすべてではないと思います。

最近ある会社で、「自分に対する態度が悪い部下がいる」と怒っている部長がいました。
その人が言うには「部下が上司を立てるのは当然」なのだそうですが、私が察するに、たぶん「みんな部長の俺を敬え!」と言いたいのだと感じました。ちなみに部下からの信頼はあまり得られていない様子の人でした。

またある会社では、部下たちが上司に対して、チヤホヤしながら細かな世話まで対応することが、何となく習慣づいていて、しかもそのチヤホヤ度合いが、役員、部長、課長と役職に応じて見事に階層化されているところがあります。これは会社の雰囲気から無意識に身に付いたものと思われ、たぶん当事者である上司も部下も、ほとんど気づいていないのではないかと思います。

これらの会社は、私が見る限りでは、あまり業績は伸びておらず、組織も硬直化している傾向があります。「上司は偉くて尊敬されるべきもの」という固定概念が、この硬直化の理由の一つです。

望ましいのは「上司だから尊敬される」のではなく、「尊敬される人材が上司になっていく」ことだと思います。

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